タイは、日本より広い国土に約7,000万人が暮らす東南アジアの仏教国です。
仏教の「不殺生(アヒンサー)」の価値観が社会に深く根付いており、日本のような行政による大規模な殺処分は一般的ではありません。一方で、安楽死そのものが法律で禁止されているわけではなく、現場では過密収容や医療不足など、別の課題も抱えています。
実際にタイで野良犬の譲渡活動に関わってきた秋谷萌花さんは、「複雑な背景がある中、日本と同じように動物を救いたい人はいる」と話します。今回は、タイで野良犬譲渡促進プロジェクト「Pawsome Buddy」を立ち上げ譲渡を推進した(現在は活動一時停止中)秋谷さんに、現地で見た動物福祉のリアルについて伺いました。
Profile
秋谷 萌花さん
タイで野良犬譲渡促進プロジェクト「Pawsome Buddy」に関わり、現地シェルターでの譲渡活動やSNS発信、学生ボランティアコミュニティの立ち上げなどを行う。大学在学中にはタイの保護団体でボランティア活動を経験。現在は日本のソーシャルビジネス企業で勤務
「自由に生きるタイの犬たち」の裏側
タイ国内の犬の推定総数は2021年の論文によると約1,284万頭。そのうち約164万頭が野犬・捨て犬だとされています1)。
タイでは、行政・民間シェルター・獣医師など、動物保護に関わる多くの現場で、「命を絶たない」という考え方が強く共有されています。背景にあるのは、仏教における「不殺生(アヒンサー)」の価値観です。
「タイでは、“命を奪うこと”そのものへの抵抗感が強いと感じました。安楽死であっても、“カルマ(業)として返ってくる”と考える人もいます」と、秋谷さんは語ります。
そのため、日本のように行政が大規模な殺処分を行う仕組みは一般的ではありません。しかし一方で、“殺さない”ことだけでは解決できない問題も存在します。
タイにて2014年12月に施行された「動物虐待防止および動物福祉法(Prevention of Cruelty and Provision of Animal Welfare Act 2014)」は、初の包括的な動物福祉法であり、動物虐待の防止と飼育動物の保護を目的として制定されました2)。
過密化するシェルターと、譲渡の難しさ
タイの行政シェルターでは、野良犬を捕獲し、一時的に収容している場所も多くあります。しかし譲渡されるケースはほとんどなく、犬たちが長期間施設で暮らすことも少なくありません。
譲渡においては、一部の行政シェルターと民間シェルターが協業する「プラウェート(Prawet)シェルター」が機能しており、保護動物を収容し可能な限りの医療ケア・譲渡センターの統括を担う「統括センター」という位置づけで、実際の譲渡は主に民間団体が担っているそう3)。
また、シェルターは所在地を公開していないことも多く、一般見学が難しいケースもあります。
「“殺さない”ことはもちろん大切です。でも、その先に“どう生きるか”まで考えないと、本当の意味で幸せとは言えないのかもしれない、と感じました。」
一方、民間シェルターやNPOでは、病気やけがを負った犬を保護し、治療やリハビリを経て譲渡につなげる活動も行われています。SNSを活用した里親募集や、ボランティアによるケアなど、日本の保護活動と共通する部分も多く見られます。
「野良犬」ではなく、「家族」へ
秋谷さんが始動した「Pawsome Buddy」は、“野良犬”ではなく、“かけがえのない相棒”として犬たちを見てもらうための譲渡促進プロジェクトだそうです。
ワクチン接種、避妊去勢、グルーミング、社会化、トレーニングなどを行い、一頭一頭の個性が伝わるようサポートしています。
活動の一つが、タイのプラパー大学内にあるシェルターのサポートでした。


このシェルターは、学内にいた野良犬を一箇所に集めたことから始まりました。しかし当初は、「隔離して餓死させる」という極端な案まで出ていたといいます。
それに反対した大学職員2名が、現在も自費で犬たちの世話を続けています。
秋谷さんは、ここで避妊去勢の推進や譲渡活動、SNS発信などをサポート。さらに、大学内で「ドッグクラブ」を立ち上げました。
現在では300人以上の学生が参加し、毎日交代で犬たちのケアを行っています。
「学生たちが実際に犬たちと関わることで、“かわいそう”だけではなく、“命に責任を持つ”感覚が育っていると感じました。また、犬を介して学年や学部、異なるバックグラウンドの子たちが繋がるコミュニティとしても機能も果たしたと思いました。
私が現地を離れた後も学生たちの手で運営が続けられており、シェルターからの譲渡も着実に進んでいると聞いています」


動物福祉は、文化とつながっている
タイでは、地域や世代によって動物への価値観にも大きな差があります。
都市部ではペットを“家族”として迎える文化が広がる一方、地方では「外飼い」や「半外飼い」が一般的な地域も少なくありません。避妊去勢への抵抗感も根強く残っています。「犬たちは自由に道を歩き回っています。でも、病気になっても治療されなかったり、繁殖が止まらなかったり、“自由”の裏に厳しい現実もありました」
さらに、野良犬に餌を与える人が近隣住民から批判を受けるケースもあるといいます。
「動物福祉って、“制度を作れば解決する”わけではないんだと思いました。宗教や文化、人の価値観と深くつながっていると感じます」



“かわいそう”で終わらせないために


「野良犬って、“問題”として見られがちです。でも、一頭一頭に個性があって、本当に愛情深いんです。だからこそ、“家族になれる存在”として見てもらいたいと思っています。街中を歩いていて散歩させている犬はほとんどの場合が純血種でした。けれど、Pawsome Buddyによる発信で3匹を譲渡することが出来たので、ポジティブな発信を続ければ理解してくれる人や魅力を感じてくれる人は今後も増えてくるのではないかなと予測しています。」
現在、秋谷さんは日本のソーシャルビジネス企業に勤務しながら、タイで出会った犬たちのために新しい展開へ踏み出そうとしています。
譲渡の“離脱”に着目し、「保護ハブ」へ
「日本に帰国してリサーチを行ったところ、タイでは野良犬シェルターからの譲渡率が圧倒的に低いことが分かりました。その後、あらためてヒアリングのためにタイへ戻り調査を重ねた結果、『保護犬シェルターからの譲渡を検討したものの、別のルートで犬を迎え入れた』という人60人のうち、約6割が保護団体の譲渡条件を満たせずに団体から断られてしまっていた、あるいは自分であきらめてしまっていたことが分かりました。
ここに、譲渡の“離脱”のヒントがあると気づき、その後プロジェクトをピボットしました」
こうした課題は日本でもなくはなく「保護団体から迎え入れようと思ったが、断られてペットショップから迎え入れた」と聞くこともあります。
「そこで現在は、まず日本である程度の実績をつくったうえで、タイにも同じ譲渡条件をベースに展開できるマッチングプラットフォームを開発しています。サービス名は『保護ハブ』で自分の情報やライフスタイルを入力すると、譲渡が成立する可能性の高い団体をベースに、自分におすすめの保護犬がレコメンドされるという、これまでになかった譲渡プラットフォームを目指しています。リリースは2026年8月末を予定しています」
日本に帰国してからも、タイの犬たちのためにできることを考え進む秋谷さん。
タイでの経験を通じて見えてきたのは、“命を守る”ことの難しさと、その先にある“どう生きるか”を社会全体で考えることの大切さでした。
引用資料:
1)Spatial Distribution and Population Estimation of Dogs in Thailand: Implications for Rabies Prevention and Control 2021年 URL
2)動物虐待防止および動物福祉法(Prevention of Cruelty and Provision of Animal Welfare Act 2014) URL
3)一部の行政シェルターと民間シェルターが協業する「プラウェート(Prawet)シェルター」 URL
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