STORY with PET ストーリーウィズペット

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永遠のライバル

To:マドリー

From:もんちゃん

2019年10月10日、16歳7か月。あなたはお空に行ってしまいました。 あなたと出会ったのは、16年前。8匹の子犬の中で一番元気でスリッパをもって走り回ってましたね。夫にだっこされると顔をペロ。これで夫のハートを射止めてうちの子になりました。大好きだったレアルマドリーからマドリーという名前にしました。ここからあたなとのライバル関係が始まったんですね。 家にきてからは大変でした。噛む、壊す、言うことはきかない。噛むのは、私のことだけ。悩みましたよ。色んな本を読んだり、しつけ教室にも行きました。しつけ教室では、優等生でしたね。家ではできないことやはじめてのことも涼しい顔で出来るんですから。 色んなところにも行きましたね。アウトドアとは無縁だった私と夫が毎週、川や山に行くようになりました。仕事で出かけても泳げそうな川を見つけると、次の週に行ってみようと楽しみでした。相変わらず、あなたは私に反抗的で、夫との関係は良好でした。散歩も私が右というと左にいく。わかって逆に行ってましたね。そのうち、夫はマドリーの言うことを聞く人で、私を支配下にしようとしていると気づきました。いやいや、この家のNO1は譲れませんよ。 こんな関係を楽しみながら時間がすぎ、散歩でも前を歩いていたマドリーが横になり、後方を歩くようになってきました。階段もきつそうになってきました。歳をとったね。私の年齢をはるかに超えてしまったんですね。サポートしたい気持ちを抑えて、「マドリー、私に負けちゃうよ」と声をかける。マドリーの負けん気を呼び起こす作戦。元気でいてもらいたい一心で。マドリーが素直に私に甘える日が来ないことを祈って。マドリーを突き放す言い方もしたね。あなたは、私をどう思ってたの?嫌いだった?私と同じ気持ちだった? 最後の時、夫、妹達も見守っていました。でも私一人になった時に、あなたは逝ってしまいましたね。マドリーの声が今までで一番はっきり聞こえました。「戻ってくる」と。私が慌てて「イエローラブで?」と聞くと、にやっと笑って答えを教えてくれることなくお空に行ってしまいました。最後まで、あなたは・・・。でも戻ってきてくれるなら、待ってるるよ。いたずらっぽい目をした子が、また目の前に現れるのを。どんな姿でもきっとわかるね。みんな変だっていうかもしれないけど、私たちは永遠のライバルだもんね。待ってるよ。

亡き愛猫が教えてくれた

To:チョコ

From:ゆち

私は昨年12年間家族として一緒に過ごした愛猫とお別れしました。とても悲しくて辛かったけどそれだけではありません。その愛猫に対してはもっとこうしてあげれば、優しくしてあげれば良かったなど後悔がたくさん。でもそれと同時にお別れした時に後悔のない愛し方を。というのを教えてくれました。我が家にはもう一匹6歳になる子がいるので、その子には亡き愛猫チョコが教えてくれた悔いのない愛し方を意識して目一杯可愛がってあげたいなと思っています。

食いしん坊

To:コテツ

From:あっち

我が家のコテツはとっても食いしん坊。料理中も配膳中もうまいことタイミングをみてつまみ食いしようとするので目が離せません。我が家では朝と夜、1日2回がコテツのごはん。朝は6時のアラームがなるとめちゃくちゃでかい声で鳴いて起こされます。2度寝は許されません。どうしても人間たちが起きないときはみんなの顔をペロペロ(笑)かわいい(笑)お昼は日曜日だけおやつをあげます。平日、わたしがお昼ご飯を食べているとにゃーと鳴いてアピール。どーしたの?とついていくとおやつが入っている押し入れの前でお座りして押し入れとわたしの顔を交互に見るんです(笑)おやつ、あげたくなっちゃいますよね(笑)あげすぎもよくない!と自分に言い聞かせ、今日はおやつの日じゃないよ!と伝えてコテツが諦めるのを待ちます。こんな幸せな毎日を送っています!現在、わたしが妊娠中なので赤ちゃんが産まれたらどんなコテツが見られるんだろうか。とっても楽しみです!

妹たち

To:たると いちご

From:いゆすみ

我が家に1匹目のたるとが来たのは突然でした。年末に家族はおばあちゃん家へ、私は1人家でお留守番してると、姉から「犬飼うかも」との連絡、え!?とびっくりしましたが、小さい頃からの夢が20歳にして叶うと嬉しくて、次の日帰ってくる家族を今か今かと待ち続けていました。帰ってきた家族が連れて来たのはゲージに入ったシルバーだけど真っ黒の子犬。今でも鮮明に覚えています。 以前の私は家にいる時はドアを閉めカーテンを閉め引きこもっていて、遊びに行くと夜まで帰らず、反抗期の名残りで母や父とは、そんなにたくさん喋らなくなっていました。ですがたるとが家に来てから、家族で連絡を取り、写真を送り合い見ながら笑い合い、たるとが私の部屋に来れるようドアは常に半分開けて、明るい家族になってきました。2匹目いちごを迎え入れたのは母がペットショップであまりにも安く売られているのを見てその場で連れて帰ってきたのです。話を聞くと病弱なので安くなっていたと、、。 そんなことないと思っていましたが、いちごは本当に病弱で、この3年間で手術を4回し入院もたくさんしました。その度に家族で話し合い、病院にすぐ行けるように、私は車の免許を取りました。黄疸が出て先生から覚悟が必要と言われた時は胸が張り裂ける想いでした。ですが、長く入院しなんとか完治。家族全員で喜びました。 今でも月一回は病院通いですが、頑張って繋いだ命が嬉しくて愛おしくて。 たるとが家族になって3年半、いちごは3年、中々遠出も出来ず、病気やアレルギーなどもありおやつもあまりあげられない。 なので最高な思い出はこれってものがないです。 ただ、たるとといちごが家族になり、私たちは毎日とても幸せで、家族がより家族になれました。 普通のことかも知れないけど、散歩に行き、一緒に遊び、たまにドッグランに行ったり、家族でみんなで過ごしたり、そんな時間が私の小さな大切な思い出です。 性格がまったく違う2匹の可愛い妹たちへ。 性格が違うから喧嘩もしますが、仲良くしてくれてるのを見ると本当に癒されます。私たちの家族になってくれてありがとう。 これからも大切な思い出作ろうね。 長生きしようね。大好きだよ。

愛しいキミへ

To:プリン

From:ちわわん

初めてお迎えした子なので育てるのに失敗したりもしたと思います。 まだ9歳になってないのに、夏頃から歩くことが困難になってしまったけど毎日の通院も頑張っていて本当に偉いと思います。 例えどんなハンディキャップを背負うことになっても、プリンが大好きな気持ちも大切に思う気持ちも変わりません。 甘えん坊だけど気まぐれで、でも私が泣いているときには慰めてくれる。 こんな愛しい気持ちになったのは初めてです。 初めてお迎えした子がプリンで良かった。 ウチの子になってくれたのは運命だと思います。 頼りない私だけど、これからも二人三脚で共に生きていこうね。 ずっとずっと一緒だよ。大好きです。

癒しをありがとう

To:凛

From:yuuui

お昼ご飯に某ファーストフードを食べ終えてちょっと席を立って戻った時の凛ちゃん。 降りようにも前が見えずにフリーズしてたね(・_・;) 14歳になり腎臓が悪くなってあまりオヤツもあげられなくてごめんね。まだまだ一緒にいたいから長生きして欲しいな。いつも癒してくれてありがとう♡

クラウンチングスタート

To:だいきち・ファンク・ジュニア

From:ケンスケ・ラリアット

この粗探しや、揚げ足取りや、批評家達がどうにも目立つ世の中にあって、「今日も元気にクラウンチングスタートォ!」などと言っても許されるパグコミュニティのゆるさとあたたかさ。

ありがとう

To:ぷりん

From:たかたか

仕事のことで毎日頭が一杯で夜も寝られなくなってた。もう無理。もうすぐ限界。そんな時に迎えた6カ月過ぎていた赤毛のトイプー。ぷりんはひっちゃかめっちゃかで抱っこ散歩で電車の音に驚いてゲボを吐き、拾い食いはお手のもの。まるで競走馬のようにつっぱしる。暴れる。もうさぁ目眩がしそうだったよ。でもね眠れない時は必ずゲージから音をたてて顔を出してくれたね。何度も何度も起きたけど必ず顔を出す。だから私はその都度いい子いい子した。ぷりんは柔らかで暖かく撫でると尻尾をぷりぷり降って喜ぶ。ぷりんの温もりで私は救われた。今、私は地面に足をつけ腰を据えて今の場所にたっている。先犬のマルチーズのパールが亡くなって4年立ち、もう犬は飼えないと思っていたけど私にはぷりんが必要だった。先犬とは全然違う個性を金揃えたぷりんももう15才月日が立つのは早いね。ぷりん、一緒にいてくれてありがとう。これからもずっと一緒だよ。

GIFT

To:だいきち・ファンク・ジュニア

From:ケンスケ・サンダーライガー

Mr.Childrenの名曲『GIFT』。そのサビの部分の歌詞は「白と黒のその間に無限の色が広がってる 君に似合う色探してやさしい名前をつけたなら ほら一番きれいな色 今君に贈るよ」。「白と黒の間に広がった無限の色」とはパグの顔のことで、つけられたやさしい名前とはパグの名前のこと。つまりGIFTとはパグのことなのです。7月に開催したパグの祭典「パグフェス」の英語表記は「PAG FES」でした。「PUG」ではなく「PAG」なのは、誤記でもなんでもなく「パグは(P)、愛すべき(A)ギフト(G)」の略。パグ飼いはみんな「白か黒で答えろという難題」の答えを持っているのです。わが家のギフト「だいきち」は、小さいころの黒多めなフェイスから、3歳になった今はアゴのあたりにやや白が増えてきています。これからも白と黒の間の微妙な変化を楽しみながら暮らしていきます。だいきちが喜んだ姿をイメージしながら。

犬とともに

To:花太郎

From:ヨースー

 僕が犬を飼いたいと思ったのは今から11年前の2008年のことだった。仕事も上手くいかず家族との関係のも思い悩んでいた時だった。未熟な僕は犬を飼うことで今の状態を変える事が出来るのではないかと思ったのだ。  そんな時、家の近くのペットショップで黒いラブラドールのオスを見つけた。ラブラドールはおりこうな犬と聞いている。なんってったって盲導犬になる犬だ。今まで犬を飼ったことはないが、大丈夫だろうと、あまり悩むこともなく子犬を迎えることとなった。名前は花太郎と名付けた。 しかし、子犬を育てることは想像以上に大変だった。 まず、トイレトレーニング。トイレのタイミングが分からない。家じゅうあちこちで、オシッコやらウンチやら。外出で戻ってきたらウンチだらけで、すぐに掃除なんてことも。 それから、甘噛みとは言えないほど痛く指を噛むことがあり、これも悩みの一つとなった。また、なんでも噛む癖がありいくつものイスがダメになった。  僕はますますイライラした日を送ることとなった。でも、花太郎はそんな風な僕にもシッポをブンブン振り近寄ってきて、無邪気に顔をペロペロと舐めてくるのだった。  それからの僕は、自分の子供が小さいときは育児書なんて読んだこともなかったに、犬のしつけの本を何冊も読んで、しつけスクールにも通った。そして、育児日記ならぬ犬のトイレノートを作り、犬のおしっことウンチをした時間を記録し、トイレの失敗を防ぐようにした。  そして散歩の回数が少ないから犬のストレスがたまるのだと本で書いてあったので、いつもより30分早く起きて早朝に散歩に行くようにし、遅く帰っても夜の散歩をするように、自分の生活リズムを変えていった。  そんな毎日を繰り返し、いつしかトイレも出来る様になり、甘噛みもずいぶんと収まってきた。  その後、仕事にも余裕が出来、自分のイライラが少なくなっていることに気が付いた。もしかすると花太郎から、色々とやってみる心構えを教わったのかも知れない。  今でも仕事で躓くことはあるけど、そんな時でも花太郎は無邪気にシッポをブンブン振って無邪気に顔をペロペロと舐め、僕をなぐさめてくれる。ありがとう花太郎。

第二の犬生を生きる

To:ジェード

From:永田菊寿

早期退社の年、東北で震災が発生しました。東北にボランティアに出かけます。5月の震災地はまだ悲惨な状態です。ボラセンターに帰ってくると一台のワゴンが停まっており、その近くにワンコがいます。山梨からのボラさんの保護した犬です。ボラの一日の作業の疲れを癒してくれます。こんな犬を飼いたいと思った時です。 退職の日が来ました。実弟から「盲導犬になれなかった子をもらえるボラが有る」との話。 早速CC犬ボラの申請に行きます。その後2が月で紹介が来ました。  富士ハーネスに着き面会の部屋で待機します。しばらくすると後向かいのドアが開き、黒い犬と職員さんがいます。誘導する職員さんのリード引っ張り、走ってこようとする子がジェードでした。私に「遊んで!」と喜んでいます。やんちゃに瞬間で虜になりました。譲渡書の資料にジェードが盲導犬に慣れなかった理由が書かれています。「動物に興味が強く、だめとわかっていても我慢できない」子だったのです。ジェードのキャリヤチェンジが始まります。  ジェードを迎えるにあたり庭にフェンスを設置しました。しかしこの子には必要なかったのです。庭から道に出る事もありません。散歩では人の指示を確かめる性格です。 その後パピーウォーカーさんから手紙が届きます。ジェードを嫁に出す父母の思いの文章です。我が子のごとく育てた事が伝わってきました。ジェードはお世話になった皆様に恩返しの約束が残っていると感じました。 その数か月後、小学校の支援員から「児童の見守りを始動しますので隊長になって」との依頼。「ジェードと一緒なら良いです」と言ってみました。それが許可されます。 そしてジェードと毎週月曜朝の登校の正門で「声かけ挨拶」見守りが始まります。 雨の日も、暑い夏も続け、子供たちの心に元気を届けます。 活動が5年も過ぎたころ、活躍を知った市から「ジェードを交通安全大会で表彰します」と連絡を頂き、12月住民安全大会で「交通安全功労賞」をジェードは授与されます。 新聞2紙、TV3局から取材が入り話題となりました。 ジェードは盲導犬となる事を期待されて生まれ育ちました。盲導犬として活躍している仲間もいますが、盲導犬落第でも社会に貢献する事で育てて頂いた方たちへ恩返をしました。 6年過ぎた3月、6年間見守り続けた卒業生の卒業式に招待されます。今9歳のジェードは7年目の活動を続けます。

RESPECT the POWER OF PUG

To:だいきち・ファンク・ジュニア

From:小林健介

「ちゃんとご近所に挨拶をする」、「吠えられてもどこ吹く風で吠え返さない」、「なんでも積極的にチャレンジする」などなど、当たり前のようでいてなかなかできていないことを、あらためてだいきちの暮らしぶりから学ぶことがほんとうに多い。 とりわけその中でも大切に思うのは「ゆるく懸命に生きる」ということです。 洋の東西を問わず、あらゆるパフォーマンスを最大化させるための要諦は「脱力」にあるといわれます。「脱力」と「緊張」の振れ幅、これが大きければ大きいほど発揮されるパフォーマンスは素晴らしいものになる。だいきちの「ゆるさと懸命さ」の振れ幅にはいつも目を見張るものがあります。 ワンコの生きてる時間は短い。寿命自体もそうだし、日々の活動時間も人間の半分以下でしょう。 だからこそ、だいきちの濃く太く懸命に生きている姿からは、どこぞのビジネス書や自己啓発本を読むよりはるかに多くのことを学べます。 その懸命さに応えるためには、こちらもうかうかしてられません。だいきちがもっと濃く、もっと太く生きられるように、手を替え品を替え、だいきちが輝く舞台を用意すべくこちらも負けじと活動しております。 7月の「パグフェス」だったり、8月の「パグの日」だったりも全部そのため。だいきちにステキな友だちが増えて、おもしろい遊び方や文化が世の中に定着したら、きっと毎日もっと楽しくなる。そうなったらいいなぁとひたすら爪を研ぐ日々です。 さてさて。 だいきちは、懸命に動き回ったあとはいつも、これぞ「ザ・リラックス」と言うような緩みきった姿を見せてくれます。「鼻くそほじる力も残っちゃいねぇ」状態で、ずっしり飼い主の上に横たわってきます。全力を出し切っている証拠でしょう。 夜眠るときに「今日も疲れたなぁ、しんどかったなぁ」ではなく、「今日も楽しかったなぁ、出し切ったなぁ」と思えるように生きていけたらと、緩みきっただいきちのちょいとはみ出たベロを見てはいつも思います。 RESPECT the POWER OF PUG. もっともっと「Life can be ワンだふる」に、ゆるく懸命なパグのように。 パグ&ピース

リッキー、ありがとう

To:リッキー

From:後藤一郎

リッキーがうちに来たのは、先住犬の友達、出来れば伴侶を探していたときでした。 立ち寄ったペットショップにたまたま先住犬と同じシェルティの子犬が売れ残ったような感じでいました。一目惚れでした。 一頭だけケージに入れられて、寂しそうに伏せていました。 一見、元気が無く弱弱しく見えましたが、この子しかいないと即決しました。 リッキーは貧弱で、お腹にはアレルギー性の湿疹のようなものもあり、腸には虫もいましたが、何とか無事に育ってくれました。 来た当初は先住犬から手痛い歓迎を受け、すぐに仲良く馴染むというわけにはいかず、可哀そうなことをしました。 でも、リッキーはめげずに耐えて、そのうち先住犬も何とか受け入れた感じとなり、たまに激しい喧嘩もしましたが、楽しい日々を送っていました。 リッキーはいつもニコニコ、優しく、勇敢で、のんびり屋でもあり、人一倍感受性が強い子でした。 私が仕事から帰ってくると、ドアを開けるまでは喜んで吠えてバタバタしていたのに、ドアを開けてただいまと言った瞬間には部屋の隅で伏せて、じっとこっちを見て、なんだパパかみたいな仕草でクールな出迎えでした。 散歩が好きで、たくさん歩いて帰ろうとすると、帰る方向には行きたがらず、ごねて伏せてしまい歩かないのでいつも遠回りで帰りました。 寝るときは、人の枕の上で仰向けで寝て、おならをしたかと思うと、どこかに行ってしまい、さあ寝られると思い枕に頭を乗せるとおならの残り香が…。 そんなリッキーでしたが、数年前に鼻に出来た悪性腫瘍のため亡くなりました。 健康診断で異常が見つかり、精密検査で末期癌状態で、余命僅かと診断されましたが、幾度の危機的状況を乗り越え、半年近く頑張って生きてくれました。 あと数か月で13歳の誕生日でした。 闘病中はかなりの痛みがあったはずなのに、頑張って、亡くなったときはとても安らかな、穏やかな顔をしていました。 リッキーには感謝しかありません。 うちに来てくれてありがとう、リッキー。

Kanta my Love

To:カン太

From:カン太ママ

私たちの宝物カン太、今年14歳 1歳になるまでは育てるのに苦労しましたんだから(笑) 何せ初めて迎えたワンコ 育て方本を読み漁ったけど…甘噛み、イタズラ、などなど…と同時に迎えて直ぐ咳が酷くしょっちゅう病院にお世話になったね。 夜咳き込むのが心配でゲージのそばに布団を敷いて寝たっけ でも不思議、1歳を迎える頃からピタッと治ったね。口に出さなかったけど、パパとママはカン太の咳が心配で…心配で… 今だから言えるけど、カン太はあまり長く生きられないかもしれないと思ってしまい甘やかしてたよね。だからカン太に試されていたのかも。 それから10年、意思疎通もできるようになりお利口さんカン太。 大きな病気もせず毎年、色々な所へ遊びに行ったり旅行に行ったり思い出がいっぱいできたね! 11歳を迎え甘えん坊シニアになって益々可愛さと愛しさで私たちは幸せの真っ只中が、まさかの病気発覚… カン太の身体に重複線癌だなんて… 手術で腫瘍を摘出したのに癌細胞はリンパに飛んでると、先生からの連絡もう目の前が真っ暗。 それからはすぐに抗がん剤治療、3週間に一度の5時間の点滴、パパと交代で抱っこしながら約1年半治療を頑張りました。 食欲が無くなるとステロイドを点滴。長期に渡って点滴を入れてたので血管が潰れてしまい、これ以上点滴治療が難しくなり放射線治療も視野に入れていた去年の4月、3ヶ月待ちで早くても6月と言われてた放射線治療に空きが出て、4月に1回目の放射線治療を受ける事が出来ました。 先生もまだまだカンちゃん大丈夫だと仰ってたのに… 2回目の治療を受ける前日、神さまがカン太を連れて行ってしまいました。神さまがカン太にもうこれ以上頑張らなくていいんだよと思い連れて行ってしまったのかも知れません。 13歳と4ヶ月がんばって命を燃やし続け生き抜いたカン太。 ありがとうカン太 私たちの所に来てくれて 沢山の幸せを私たちにありがとう。 必ず愛に行けるからその時まで待っててね。

我が家の中心

To:さくら

From:きっかパパ

黒ラブのさくらは16歳7ヶ月。 今の奥さんと付き合い始めてすぐペットショップで見つけて二人とも一目惚れで迎えました。以来我が家の中心的ポジションでみんなを見守っています。半年遅れでやってきたゴールデンの妹分「きっか」と一緒に日本全国旅をしてたくさんの出会いと思い出を作ることができました。 昨年きっかが先に亡くなり、後を追うようにしばらく体調を崩しましたが持ち直して16歳の誕生日を迎えることができました。 その間に保護猫1匹、保護犬1匹も加わりましたが、そんな中でも新入りたちはちゃんと先住のお婆ちゃんを見習いちゃんと尊敬しているようです。 怒られて逃げ込む先はさくらお婆ちゃんですから。 いつまでたっても我が家の中心でいつも見守ってくれるさくら婆ちゃん、あとどれだけ生きられるかわからないけど、これからもみんなをまとめて見守ってね。

私の子供

To:こたろう

From:すーさん

気がつけばもう6歳。 ゆっくり歳をとってほしいのにな。 人間じゃないけど、私の子供だと思う。 ゆっくりゆっくり歳をとってね。

私の人生最後の君

To:チョコ

From:つろすけ

私の人生にはいつも犬が一緒にいました。 そして大人になり、子供も大きくなり、誰もいなくなった時 サイコーの相棒が現れた きっと君がママの人生最後の犬 だから一緒に沢山いろんな事をしていこう だから一緒に沢山いろんな景色を見ていこう 君といると毎日楽しいよ 君といると毎日笑えるよ だからもっとゆっくり歳をとって もっとずっとチョコと一緒にいたいから もっとずっとチョコの笑顔をみていたいから

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