STORY with PET ストーリーウィズペット

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猫が返事するだけで

To:みーぼ

From:やまもとひさお

仕事場のストーブに たまに当たりにきてた野良猫 ある日血だらけでよたよた現れた 仕方なく病院へ もちろん怪我が治ったら また野良生活に戻すつもりだったのだけれど 「猫エイズのキャリアなんで外には出さないで」 「え? 家の猫じゃないんだけど。。。」 大柄な茶白のおかまちゃん 仕方なく家で飼い始めた 穏やかな性格で助かったけれど お刺身だけには目が無かったな それまで家に猫がいたことなんて無いから 何も分からないまま同居 一応「みーぼ」と名前もつけた もちろん呼んでも無視 寝てばかり それでもたまに 「にゃぁ」と返事されたら 何とも言えない嬉しさがこみ上げて 我ながらバカだなと それから捨てられた子猫と出会ったり 譲渡会に誘われたりと 今も3人が一緒に暮らしてる 縁をありがとうね「みーぼ」 もう 君は返事してくれることはないけれど

身を引いちゃったの?

To:クー

From:らぶにゃん

私には再婚前に飼ってた雄猫、ペルシャのクーがいました。 生まれつき腎臓が悪く、ずっと療法食を食べさせてました。 病院にも週1で通って点滴をしていましたが、数値が安定して いるので、このままで大丈夫と言われていました。 その頃私は今の主人と知り合って、主人の方にも2匹の猫が いたので、結婚することになって双方の猫の相性が悪かったら 困るな、などと考えていました。 それがクーに悪い意味で伝わってしまったのか?ある日急変。 2日であっという間に虹の橋を渡ってしまいました・・・ 私の再婚がスムーズにいくように、相性合わなかったら? なんて悩まなくて済むように、自分が身を引いちゃったの? 僕がいなくなるから大丈夫だよ!なんて思っちゃったの? 仕事でいつも留守番ばかりさせて、ゴメンネ。 いつもいつも終電で帰る私を暗い部屋の中で待っててくれたね。 どんなに遅くなっても、玄関開けると目の前にいてくれた。 クーちゃんは私の所に来て、幸せだったのかな? おかあさんは自信がないよ。 いつか生まれ変わったら、またおかあさんの所に来てね。 姿形が変わってても、絶対クーちゃんの事判るから。 いつまでも忘れないよ、大好きなクーちゃん・・・

いつもありがとう

To:むーたん

From:お姉ちゃん

むーたん、昨日は桜なんて興味ないのに、お姉ちゃんのお花見に付き合ってくれてありがとね。それから、お揃いのお洋服も着てくれてありがとう。とっても楽しかったよ。代わりに今日はむーたんの気がすむまで、おもちゃ投げてあげるね。お散歩行くときも好きなだけ電柱ふんふんしていいよ。お姉ちゃんもむーたんも、ふたりで一緒にいる時間が好きだから、ふたりの好きなものがバラバラでも、毎日楽しくて幸せだね♡

生きることを全力で教えてくれた子猫

To:フランシス

From:Akiko.W

昨年のGW明け、ある駐車場前を通りかかると おじさん二人が傘で車の下を突いていました。 どうしたかと思って見ると、どうやら子猫が車下に。傘で突つかなくても、「おいで」と言ったら素直に出てきてくれた推定生後3週間の黒猫の子猫。ご縁だと思い、連れて帰りました。ガリガリで毛は抜け落ち、膝の骨がズレていたよう。獣医さんの診断は酷い猫風邪と病弱・虚弱体質。何が起こっても不思議ではない、と…道端で貧しい生活だったので、名前だけでも高貴なものに…と思い、英国人の主人と相談してフランシスと名付けました。我が家で幸せを振り撒いてくれたフランシスはつい3日前、猫伝染性腹膜炎で短い生涯を閉じました。どこに行くにも私のあとをついて回って、猫なのに犬のような性格で、甘えん坊で、我が子のように可愛いフランシス。とても悲しいけど、一緒に過ごせた時間は宝物。もう泣かないよ、心配しないでね。ずっとずっと大好きなフランシス。たくさんの幸せをありがとう!

大好きなシロちゃんへ

To:シロ

From:草壁佳奈

シロ 私を飼い主に選んでくれてありがとう 私の帰りをいつもいい子で待ってくれて帰ってきたら体いっぱい使って喜んでくれてありがとう あなたの笑顔のために私がんばるね 大変なことがたくさんあるかもしれないけどお姉ちゃんはあなたを全力で守り あなたを大切にします これからもよろしくね シロ大好きだよ

せかいでいちばんの猫

To:ミソ

From:宮脇 奈緒

県の譲渡会からうちに来た、わたしにとってはじめてのねこ。よもや、てんかんに肝機能障害まで抱えているとは思いもよらず、覚悟していた斜め上のたいへんさです。入って良かったペット保険。 きっと、このこより賢いこや、きれいなこ、健康で元気なこはたくさんいるんでしょう。だけど、多くの家でそうであるように。どこかいつも驚いた顔をしている、このこはわたしにとって「せかいでいちばん」の猫です。 今日もたくさん寝て、ごはんも食べて、なんて仕事熱心。えらい。爪とぎもして、トイレにもいって、あくびも毛づくろいも上手。 まちがいない。 やっぱり、あなたはせかいいち、いや、宇宙いちの猫だ。

私をうつから救ってくれたわんこ

To:ミンミ

From:山田 直樹

私は事業に失敗してうつ病になり実家で5年間引きこもっていました。 ある日兄弟がミンミを連れてきて当分預かってくれと言い出し、私には断る理由もなかったのでミンミを飼い始めました。 でも、ミンミはいつの間にか氷のように凍てついた私の心を溶かし、私を外の世界へと連れて行ってくれたのです。 ミンミと一緒なら遠くまで歩いて行けましたし、1人では滅多に入らないカフェにも一緒に入れました。 いつのまにかたくさんの犬友ができて、話すことが楽しくなってきました。 今はうつ病だったのが嘘だったかのように毎日半日は外出しています。 ぜんぶミンミのおかげです。 ありがとねミンミ・・・

大草原のシェパード、ローラ。また会える日まで。

To:ローラ

From:いくこ

もう40年くらい前の写真です。 当時流行っていた警察犬のドラマに影響されて、私設警察犬訓練所から買ったシェパード。 札幌の地でのびのび暮らして欲しく、同じく流行っていた当時の海外ドラマから、ローラと名付けました。少女だった私とローラ。一緒に遊ぶのがとても楽しかった。春夏は、川べりに行って、ボールを投げて遊びました。冬は広場に行って雪遊び。ローラは投げた雪玉をジャンプしてパクッとかんでキャッチ。雪玉は崩れますが、雪はいくらでもあるので「終わらない遊び」に。 ローラは賢い、とても賢いコでした。生後8ヶ月から2ヶ月間、訓練所に預け、訓練を受けましたが、訓練士から「明るい性格ですよ」と言われて、うれしかったのを覚えています。 訓練所ではピシッと命令を聞いていましたが、自宅に戻って、私や家族が「伏せ!」と命じると、たしかにすぐに伏せるのですが、「待て!」と命じ、後ろを向いて歩きだすと、バレないようにと、こっそり匍匐前進で、着いてくるのでした(笑)。 その頃、「北海道にはフィラリアはない」というのが定説だったので、外で飼っていても、対策はしていませんでした。ローラはまだ7歳くらいだったかと思いますが、嘔吐や腹水が溜まり、調べてみるとフィラリアで。もう、手遅れでした。明るい性格のローラが、日に日に、元気がなくなり、いつも遠くを見つめているような表情になりました。今、思い出しても、心が痛く、せつなく、悲しい気持ちになります。 いつもは外で飼っていましたが、ある日、母が、ローラを玄関に入れました。もう、長くないと思ったのでしょう。次の早朝、大きく咳き込むような音を母が聞いたそうです。私たちが起きたときには、ローラはもう、虹の橋に旅立っていました。 当時の日本の動物の育て方・飼い方は、今に比べてずさんでした。世の中みんながそうでした。今ならもっときちんと知識を持った世話ができたのに。病気にさせずに済んだのに。今思うと苦しいです。 今でも会いたい気持ちでいっぱい。忘れられない最愛の犬です。 いつか私が虹の橋に行ったときには、ローラは必ず、迎えに来てくれるでしょう。お腹を見せて転がり、「待ってたよ、早く一緒に遊ぼうよ!」と誘ってくれるでしょう。 明るく天真爛漫で賢いローラと、また遊べるときがくると思うと、私は自分の人生の終わりのときが来ても、笑顔でいられるような気がします。

ばあばと散歩

To:ここ

From:小林美子

ばあばは昭和元年付近の生まれ🤫 好きだった散歩も段々遠退いていましたが…私ココが一肌脱ぎます! 広場までばあばが連れてってくれます。

大切な家族

To:みーこ

From:りん

部活が終わり、家まで歩いて帰っていると くしゃみばっかりして、よろよろ歩いて、目やにが酷くて目が開いていないような子猫がいました。その場ではどうする事も出来ず、とりあえず家に連れて帰りました。 先住猫がいたので病気があったら、うつしてしまうかもしれない、と思い、ひとまず外えさと水をあげました。食べる力があったので一安心しました。ですがそれからどうしたらいいのか分からず、Twitterで弱っている子猫を保護したのですがどうしたらいいのでしょう?と聞いた所、優しい方たちがいろいろ教えてくれました。 親が帰ってきてから病院に連れていってもらい、重度の猫風邪だと言われました。もう少し遅かったらどうなっていたかわからない。と言われました。みんなに助けて貰ったこの命。一生大切にしよう。と家族で話しました。 回復するのに時間はかかりましたが今ではとっても美しい美猫です。やんちゃで暴れん坊で手のかかる子ですが私達、家族に癒しを与えてくれています。布団の中にすぐ入り、寝転がるとすぐ上に乗ってくるとても可愛い子です。 今となってはみーこも大切な、大切な家族です。

宝物

To:つばさ

From:うめこ

我が家のお姫さまは少し狂暴なとこも有るけれど最近はだいぶ甘えん坊さんになってきましたね 私達夫婦の宝物 大好きだよ

数年間ずっとペットロスが続きました。

To:アポ

From:エリナ

両親の飼い犬が交通事故に遭い死んでしまい、それ以来幼い頃から動物を飼うことを許されない環境で育ちました。一人暮らしをするようになって、生まれてはじめて飼った猫が偶然にも知り合いの方からの紹介のブリーダーさんからのペルシャ猫の名前は、「アポロン」からとって「アポちゃん」命名されていました。ワタシのもとで16年間長生きしてくれ、とうとう虹🌈の橋を渡り永眠しました😿とても信じられず、数年間はペットロスとなりました。私の猫との大切な一生涯忘れることのない愛猫です。当時は猫ブームなどというものはなく、猫砂も新聞紙を細かく切って砂代わりにするという時代でした。猫のご飯もペットフードというものは限られていました。主にささみを煮てほぐしてあげて与え与えていました。私の心をずっと癒し続けてくれた、あまりの悲しさに会社を3日間休み、意識茫然となり、頬がげっそり痩せて、愛猫の死を受け入れることができずずっと悲しみにくれ「こんなに悲しい思いをするのなら、二度と飼わない!」と誓い、仕事に没頭し、数年間を過ごしました。猫が好きでも仕事が忙しく、唯一それが救いでした。ただ、帰宅してもいつもお迎えしてくれてた「アポちゃん」がそこにいないことは、寂しくて寂しくてしかたありませんでした😿心にポカっと穴が開いたような状態でした。もう二度と自分にとっては、最高最愛の猫だと思うほど、唯一無二の存在でした。一生懸命生きてくれて、そばにいてくれるのがあたり前だった。あとになってわかったのは、猫は皆性格がまったく違うという事、すぐに「ニャオー」と返事をして鳴くのは珍しい事らしい。呼ぶと必ずお返事ができるレッドの毛色のペルシャ猫アポちゃん「もうこの世にいない!」この子に思いをはせながらショックで、悲しみにくれる月日でした。ペットロスの状態が数年続きました。「こんなに悲しいのなら、動物は二度と飼わない!」とその時、心に強く決めたのです。当時の最愛の猫のアポちゃんです。今でもこれ以上の猫はもうこの世に存在しないと思うと悲しいです。けっして同じ子はいない。姿、形は同じようでも、やはり性格、個性は人間と全く同じ!まさに唯一無二。毎年4月1日になると桜の満開だった日に静かに息を引き取り虹の橋を渡ったことを思い出し今でも写真に語りかけるたびに涙が出てきます。あの世でいつか必ず会いたい!

ルネちゃんの子猫時代「丈夫で強い猫になりたい!」

To:ルネ

From:エリナ

この子は、ペルシャ猫の名前は「ルネ」と言います。生まれて4か月の時に目を怪我して、動物病院で診てもらったところ、眼球がえぐれたようになっていました。原因は猫同士でちょとした鋭い爪でじゃれあったのが原因なのか、どこかでぶつけたのかは今でもわかりません。当時病院の先生からは、「もしかしたらもう治らないかもしれない」とまで言われましたが、いただいた目薬を毎日一生懸命名前を呼びながらさしていました。目が痛いようでなかなかぱっちりと開けない状態を見るにつけ可愛そうで心配でしかたありませんでした。それでもずっとしっかりと通院し、目薬を頻繁に差し、名前を呼んで励まし、1か月後には奇跡的にえぐれたところが無事元通りに戻り完治しました!本当にほっとしました。でもまたあのあと、この子は、皮膚が薄く弱いので皮膚炎と下痢が続くようになりました。下痢が続くとホントにしょっちゅうトイレに行くのです。そして皮膚は、やたらかゆがって、またもや動物病院で診察、検査してもらったところ、「断定はできませんが、食べ物アレルギーかもしれません。この子だけ隔離してください。食事も別のアレルギー用にしてください」と言われ、まずは、丸坊主にしました。そして猫3匹と同居していたのですが、この子だけ、別部屋に隔離しましたが、寂しさと不安からか、「ニャ~!ニャ~!」とずっと泣きっぱなしで、喉が渇くくらいに鳴いてそれはそれはこの子の鳴き声を聞くたびに辛くて辛くてしかたありませんでした。心を鬼にして、この子だけ、別部屋に1か月しました。飼い主がいないと余計に「ニャ~!ニャ~!」鳴いて鳴いて心配で仕方ないので時間の許す限りできる限りこの子のそばにいるようにしました。いると安心して甘えて甘えてゴロゴロ音をしてくれました。この子猫時代の体験からなのかどうかわかりませんが、現在は4匹の猫の中でも一番の甘えん坊になりました。いつもいつも必ず行くとそばにきてゴロゴロして、しっぽをピーンと立てて、近づいてきて「ニャォ~!」と鳴いて抱っこやお目目を拭いてほしいとジーっとこちらを見つめてきます。名前を呼ぶと必ず「ニャン!」と鳴いてくれ、お水を替えてあげると必ず飲み、食欲は今一番食いしん坊の丈夫な猫に成長し今4歳となり、こんなに小さな命、無邪気で純粋な動物、自然体で生きる猫、猫は人を癒すためにこの世に生まれたきたのではと思い大事な家族です。

輝く女の子

To:美羽 (ビワ)

From:ダヌーアキコ

びわちゃんを初めて見たのは6年前。 悲しい顔をした、老いた女の子の写真でした。当時老犬を育てる経験がありませんでしたが殺処分を避けたい気持ちで里親に立候補しました。 鹿児島のボランティアさんが親切に搬送を手伝ってくれて、びわちゃんは飛行機できました。うちについたびわちゃんは、鬱の表情で心を閉ざしていました。うずくまっていました。悲しそうで、過去に何かあったんだなと感じました。 撫でようとすると反射的に怖がりました。叩かれていたかもしれません。 ご飯を食べて、散歩にいって、お気に入りの場所でふわふわのベッドで眠るようになりました。散歩しながら、私にお世話ができるのか、幸せにできるのか、少し考えていました。優しく撫でて労ろうと思いました。 びわちゃんは、みるみる表情が優しく明るく変わっていきました。優しい、穏やかな性格でした。ある日、私は洗面所の前で服を整理していました。びわちゃんはそっと隣に座り私の様子をニコニコと見て一緒にいました。いつもそっと側に来てくれました。 お散歩で歩くびわちゃんは、太陽にあたり、キラキラ光り輝いていました。私は次第に老犬の優しい魅力に気づいていきました。しばらくして私は重い病気になりました。ガンでした。治療がきつく、家に帰ってきた私にびわは微笑み、"ママ、大丈夫よ"といいました。不思議なことに進行したガンはみるみるなくなり治りました。びわちゃんは特殊な力を持っていたと確信しています。いつのまにかワンちゃんは4頭に増えていました。びわちゃんは皆のお母さんでした。びわちゃんは数ヶ月たち、腕の中で静かに亡くなりました。美しい羽を持った天使の犬でした。

地球イチの家族

To:茶太郎

From:チャタママ

8年前、埼玉動物愛護センターより保護団体さんに保護をされた茶太郎。 痩せっぽちでもしゃもしゃで何の生き物か分からない子、うちに来てからの数ヶ月は私の顔が見えなくなるとキャンキャン泣き続け、目の前で熟睡してくれることもなく、初めて犬と生活をするママも不安な時間を過ごしたのを憶えています。 あれから8年、今は人間の子どものお兄さんとして家族の支えとして、白目を剥きながら熟睡をしてくれているその姿をママは頼もしく思っています。 茶太郎がいない生活なんてもう考えられない! ママと出逢うまでの茶太郎はどんなところで生まれ、どんな生活をしてきたのかな。 辛い過去もなかったかのように笑顔でいてくれるあなたがいてくれるからママも頑張れる。 寄り道はしたけれど、地球の中でママのところにきてくれてありがとう!

犬生を生き抜くこと

To:ジェイド

From:ダヌーアキコ

一年前、心細く、悲しい顔で保健所の檻に入った一頭の老犬の写真をみました。 その日から、その子が頭から離れなかったです。数週間して、投稿されていたボランティアさんに、里親さん見つかりましたか?と伺ってみましたが、まだ見つからないとの事でした。良かったらわたしが迎えたいと話し、信頼して託して頂くことになりました。 13歳位の男の子。初めて会ったとき、なんて可愛いとすぐに愛が芽生えました。息子がジェイドと名付けました。翡翠という意味です。穏やかな大人しい子でした。目にイボがありました。それもまた愛おしく思いました。ガリガリにやせていました。人懐こい性格ですぐに馴染んでくれました。お散歩も初めてのような感じで、戸惑っていましたが、すぐに慣れて元気に楽しそうに歩きました。数日食べようとしなかったフードも、いっぱい食べるようになりました。けれども、数日後には病院で病気が色々見つかりました。何かあるかなと予想していましたから、すぐに治療をはじめました。中でも一番難しい病気は慢性腎不全でした。入院、日々の自宅点滴、投薬、フード、色々頑張ってくれました。彼と私はパートナーになり、力を合わせてやっていこう!と悲観せず一緒に笑顔で向かいました。 ジェイドはコメディアンでした。素直すぎる行動がいつも私を笑わせました。全てが可愛く面白い子でした。みんなに好かれる性格でした。何かあっても、ジェイドを見ていると心は和みクスッと笑ってしまいました。幸せを感じました。ジェイドのイビキを聞きながら毎日寝るのが心地よかったです。 病気とも前向きに戦いました。数値はよくなり、悪くなり、を繰り返しました。 リーダーもーちゃんと、ジェイド、私は3人で一つでした。息子もジェイドを好きでいつも気にしていました。 数ヶ月たち、いよいよジェイドは何も食べれなくなり最期の時を迎えました。枕元で私は思い出話をたくさんしました。 愛していると伝えました。 ジェイドのことが大好きでした。今も愛しています。出会って10ヶ月一緒にくらせました。ジェイドありがとう!

大切なあたたかい命

To:もー

From:ダヌーアキコ

念願のボランティアにいっていた保健所でわんこを譲り受けたいと思っていました。どの子も可愛くて、大切にすると決めていました。新しく入ってきた一歳位の小さな雑種の女の子を勧めていただいて、我が子に迎えました。最初は2キロの小さな神経質な子でした。腕などをよく噛んでいました。3歳になったころ、噛まなくなりました。お散歩は気ままに思うままに歩きます。従わせようとは思わず、尊重し、譲歩してお世話をしました。ご飯もよく食べて一緒の枕で寝ます。私は幸せになりました。今、もーは10キロ位あります。神経質な部分はあるけれど、とても愛情深い優しい立派な犬に育ちました。やがて、新たに家のない保健所の老犬を迎えました。この6年で6頭見送りました。皆辛い顔をしてうちへ来ましたが、亡くなるまで明るく幸せに一緒に暮らしました。皆にできるだけのケアをしてきました。あたたかな、愛情の溢れる家族になりました。もーは若いけど彼らのリーダーになりました。私はもっと幸せになりました。もーは6歳になりました。世界一大切な大好きな子ですが、たくさんの辛い境遇の子がいる事も重要に思います。 今まで老犬を看取れたのは、もーが支えてくれるからできた事です。看取りは辛いですが、何か出来ることは続けていきます。 犬は本当に優しいいい動物、大切なあたたかい命です。 もー、一緒に暮らしてくれて、本当にありがとう。出逢えて、良かった。心から愛しています。これからも大切に仲良く暮らしていきたいです。

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投稿写真・STORYについて

このページに表示されている投稿内容は、アニマル・ドネーションが主催する「STORY with PETキャンペーン」の寄付活動の一環として投稿されたものです。
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公益社団法人アニマル・ドネーション キャンペーン事務局