STORY with PET ストーリーウィズペット

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ストーブの前は

To:マロン、モカ

From:マロモカ

寒い日はストーブの前は取り合いになります。マロン(黒 男の子)は優しいのでモカ(チョコ 女の子)に場所を譲ってあげます。自分が先に寝ててもモカが来たら仲良く一緒に寝てあげる優しい子です。モカは、その優しさをフルに受け入れる子!いつまでも仲良くね!

暑いけど

To:マロン

From:マロモカ

外が大好きなマロン。天気の良い日はウッドデッキで日向ぼっこがお気に入り。暑くなれば自分で家に入って水分補給して、また出てきます。今年9月で17歳になりました。いつまでも元気で頑張ろう!

アジソン病の発病から2年が過ぎました

To:カーシャ

From:Katz

カーシャがアジソン病を発病したのは、2017年の12月の事だった。カーシャは突然何も食べなくなり、ぐったりとしだした。そして一日に何度も吐いた。症状はどんどん悪くなるばかり。年末の忙しいさ中に何度も病院に足を運び、いろいろ検査した結果、カーシャはアジソン病と云うことが判明した。様子見をしたのが症状を悪化させる原因だった。これは私達の失敗だった。 獣医曰く「懸命に処置をしたが、明日までもたないかもしれない」と言われた。 「今日このまま入院させて置くのもいいけれども、状態はかなり悪い。人に因っては犬が亡くなるのを見るのが辛いからと云って、病院に預けて行かれる方もいる。病院で独りで亡くなるのはかわいそうだからと、家で見守りたいと言う人もいる。どちらかを選んでいただけませんか?」とまで云われた。 その晩私はカーシャを家に連れ帰る選択をした。本当にカーシャは死んでしまうんだろうか? 何故か私はカーシャは死ぬ事は無いと確信していた。そしてカーシャはその晩を見事に乗り越え、腎不全も、病状もその日から徐々に回復して行った。 だけどもカーシャはあの時間違いなく虹の橋の袂まで行ったと今でも思っている。カーシャがいざ橋を渡ろうとした正にその時、橋の向こう側から先代犬カララが颯爽と駆けつけてきたんだ。カララはカーシャと挨拶する間もなく、虹の橋の上り口を齧って破壊し始めた。先代犬のカララは何でも齧って壊した。破壊はカララの得意技だ。 突然のカララの登場にカーシャは、ただ見守るしかなかった。あっという間に虹の橋の上り口は破壊されてしまった。上れないものは仕方がない。カーシャは再びこの世にトボトボと重い足で引き返していった。 うなだれて去ってゆくカーシャの後ろ姿を見て、カララは頭をフリフリ、しっぽをブンブンと振り回し、上機嫌に虹の橋の向こう側に去って行くのであった。あまりにも鮮やかなカララの破壊っぷりに、カーシャも驚いたことだろう。これが伝説のカララなのだ。カララの壊し屋っぷりが初めて役に立つ日が来た。ありがとうカララ。 カーシャは発病から無事2年目を迎えることが出来きた。今でもあの時のカーシャの冷たく冷えきった足の事が忘れられない。あの時私は布団の中で、ぐったりとしたカーシャを抱いて一生懸命温めてあげたのだ。そんな私達をカララも応援してくれたと今でも思っている。

大丈夫だよ!!

To:モコ

From:真央姉

甲斐犬mixの15歳の女の子で、去年、急変してしまって歩く事もできなかったのに頑張って治療して短いけど大好きな散歩に行けるようになったね!家族の協力と一番はモコの生きる力が強かったからだよね。これからも1日を大切に過ごしていこうね!よろしくね。

チンチラーズ

To:ジジandビビ

From:ありさ

いつも癒しをもらってます。 悪さもするけどそれも可愛さ

我が家の長女

To:つくね

From:りくママ

我が家の愛犬「つくね」は3年前に我が家にやってきました。友人の知り合いが新しい飼い主を探していたのですが、手放される理由はバリカンの入れすぎで胴体の毛がほとんど無くなってしまったため…。しかし、飼い主さんの気を引こうと膝の上に乗ったりおもちゃを持ってきたりと懐いているようでしたし、他のワンちゃんとも離れ離れになるのに、貰い受けていいものかしばらく悩みました。色々考えた結果、やはり飼い主さんに構われていなかったのがかわいそうに思えてきて、一緒に暮らす決断をすることに。それからたくさん一緒に遊んだり散歩に行き、今はほとんど毛が生えそろうようになりました。獣医さんにはポメハゲの原因はストレスもあるとおっしゃっていたので、うちに来て楽しいのかな、と思うととても嬉しいです。1年前に長男も生まれ、今では子供と一緒におもちゃの引っ張りあいや散歩をしたりと、とてもいいお姉さんワンコになってくれています。本当に、毎日たくさんの笑顔をくれていて、我が家の大切な宝物です。これからもずっと元気でいてほしいです。

我が家の長男くん

To:きなこ

From:まゆ

娘が生まれるちょうど一年前に我が家にきたスコティッシュフォールドの「きなこ」。きなこもちみたいな茶白の柄だったので一目見て名前は決まりました。初めは両手に収まるような赤ちゃん猫で、押入れの奥やベッドの下に入ってしまってあまり近寄ってこなかったきなこ。だんだんと心を開いてくれ、今では気づけば側にいるような甘えん坊になりました。我が家にきて一年後に第1子の娘が生まれ、最初はぎこちなくもだんだんと触れ合うようになり、娘にイタズラされても決して怒ったり噛んだりせず、立派な家族の一員となって、長男として娘と仲良くしてくれています。一緒に並んでお昼寝してる姿には本当に癒されます。来年第二子が生まれるので、家族5人で沢山思い出を作っていきたいと思っています。きなこ、これからも娘たちを1番側で優しく見守っていてね。

最高の笑顔

To:コテツ、レオ、ヤン

From:みぃちゃん

いつも元気いっぱい仲良し親子のわんちゃんたちです。我が家のわんちゃんたちですが、こんな元気に暮らせるまでは、たくさんの困難もありました。3年前に出産を家で行い、なかなか生まれず病院に連れていき、帝王切開になりそのときに知らされたのが頑張って出ようとしていた仔が前日までは呼吸していたのを確認できていたのに、お母さんのお腹の中で亡くなっていてなかなか出産が進まなかったということがあり、この仔たちに会えたのもほんとに奇跡なんだな?と思いました。残りの仔たちはすごく元気でいてくれて、絶対にうちで大切に育てようと決めました。生まれてすぐは排便なども自分の力でできないので起きてから寝るまでずっとそばにいて、ほんとに小さな命を守っていくのは大変だなって思いました。毎日成長する中でいろんな表情をします。小さなときからする、私の中では最高の笑顔だと思っているのですが、こちらの写真のような笑顔の顔が大好きです。お外で走り回るのが大好きで、心の底から楽しいんだなって思わせてくれるので、こちらもとても幸せな気分になります。小さな仔たちの大切な命をこれからも守っていきたいと思います。皆様にもこの笑顔のパワーが伝わりますように。

人生の半分

To:ちょこ

From:やまま

ちょこは私が小学5年生の時に、愛護センターから連れてきました。HPの写真で一目惚れして、親にこの子がいいとねだったのを覚えています。それから16年、人生の半分以上を一緒に過ごしてきたちょこが、今年亡くなりました。元気な時、いつもは寝ている時間でも、何故か私が疲れ切って帰った時には必ず起きて出迎えてくれました。 社会人になって一人暮らしを始めて、中々会えなくなった頃には、ちょこも高齢になり会うたびに弱っていきます。ある日、「今日会わないといけない気がする!」とふと思いました。来週帰省する予定がありましたが、次の日も丁度休みだった為その日のうちに実家に帰りました。なんだかいつも以上に弱々しく感じ、何度も何度も吠えていました。仕事のため帰った次の日に、親からちょこが亡くなったと知らせが来ました。まだまだずっと悲しいしもっと色々してやれば良かったと後悔も多いけど、会いに行って本当に良かった。向こうでは元気に走り回ってくれてるといいな。

いつまでも大好き。

To:ぷーすけ

From:あや

私が小学校に上がる時にお迎えしたぷーすけ。 犬を飼っていたというよりも本当に弟のように一緒に育ちました。 3歳下の妹とご飯やオヤツを取り合って、時にはケンカもしたね。 2人と1匹でよく公園に遊びにも行ったね。 共働きの両親は私たちよりも遅く帰ってくることが多かったけど、帰るとぷーすけが絶対に出迎えてくれるから寂しくなかったよ。 留守番をしている間に小麦粉を被って真っ白なプードルになってた時は家族みんなで笑った! 私と妹の成人を見届けてくれてありがとう。 たくさんの素敵な思い出をありがとう。 どこにいてもいつまでも大好きな私の弟です。

いつもわたしのそばに

To:あんず

From:おむすび

4年前、長い不妊治療と繰り返す流産に私の目の前はまるで灰色の世界でした。 その時家族として迎えいれた ロシアンブルーの女の子、あんず。 この子を見たとき、ビビッと運命を感じました。 そんなことは初めてでした。 それからまもなく、また私のお腹に新しい命が宿ってくれました。 それでも流産の経験から、手放しでは喜べず、毎日毎日不安な気持ちで過ごしていました。 そんな時いつもそばにいて、励ましてくれたのがあんず。 不安を感じると何処からともなくやってきて、静かに私のそばにいてくれました。 「きっと大丈夫だよね?」 そう話しかけると、私を見上げゆっくり瞬きをし、 "大丈夫だよ" まるでそう励ましてくれているようでした。 あたたかなその温もりに何度励まされたことか。 その後順調に経過し、第一子となる長女、2年後には次女を無事出産しました。 3年間に渡る長く辛い不妊治療から私を救ってくれたあんず。 この子がいなかったら、今の私達家族の形はなかったかもしれません。 今はしっかり者のお姉ちゃんとして、姉妹をあたたかく見守ってくれています。 でも、気づくとやっぱり いつもわたしのそばに。 そんな愛おしくかけがえのない我が家の大切な家族です。

ターちゃんからのプレゼント

To:拓郎(ターちゃん)

From:よっちゃん

2016年10月に18歳で天国に行った私たちの弟、ターちゃんのお話です。 ターちゃんは私が8歳の時に生後1ヶ月で我が家にやってきた弟。 見た目はちょっと狼さんみたいで、こわーい!って言われてしまうことも沢山あったけど、実はとっても甘えん坊で、優しくて、 我が家のアイドルでした。 私が落ち込んで泣いてる時は、顔を舐めて励ましてくれたり、嬉しくて踊る時は一緒にJUMPしたり♪ 18年も毎日一緒に過ごしてたから、あんなことやこんなこと、思い出は沢山あって、ターちゃんはわんちゃんじゃなくて本当の弟って感じでした。毎年恒例の箱根旅行はとっても楽しかったね! 話は少し変わりますが、実は父の仕事の関係で、私たち姉妹はオランダで生まれ私が8歳の時まで過ごしていました。 帰国してからずっと、いつかまた家族でオランダ行きたいね!私か妹がお嫁に行く前には1度行けたらいいねぇ~と話していました。でも、家族全員が休みが取れる時間もなかなか無かったし、 なんと言っても我が家には最愛のターちゃんが居たから、まぁなかなか現実的には難しいかなぁー!と思ってました。 そんな中、私が2017年1月に結婚する事が決まりました。 その頃のターちゃんは、もうお爺さんで後ろ足が弱ってしまって、お家では1年近く寝たきりの状態でした。でもご飯は沢山食べるし、毎日ベビーカーでお散歩も行って、芝生の上で後ろ足だけ支えて歩いたりもしてました。居てくれるだけで、家族みんなの癒しでした。 でも、私が結婚式の打ち合わせで帰ってきたある日、ターちゃんは家族全員に看取られて天国に行きました。お年だったから、覚悟はしてたものの、でもやっぱり受け入れられなくて家族みんなで沢山泣いて....最後は毎日お散歩した公園に亡骸のターちゃんとみんなで行きました。 たーちゃんが亡くなって、 こんなに寂しいことはないってぐらい辛かったけど.. でも、何だかターちゃんが 「お姉ちゃんがお嫁に行く前に家族でオランダに行ってきなよ、行ってきていいよ」って言ってくれてる気がして..... 式の3ヶ月前、ターちゃんが作ってくれた貴重な機会だねって年末年始のお休みに、急遽家族で行ってきました。18年越しの夢が叶いました。 ターちゃん、本当に夢の中にいるみたいな旅行だったよ。 18年間、幸せをありがとう。 最後に最高のプレゼントまで..本当にありがとう。

うちの猫

To:ネム

From:ポッター

子どもが生まれた時の写真だよ。家に変えるのがとても楽しかったよおとなになった1匹だけを今飼ってるけど、とても楽しいです

親愛なるテディ様。

To:テディ

From:しらゆり

きみと出会った日のことを今でもはっきり覚えてるよ。あの時私は中学生。新聞の隅に書かれた、里親探し会の記事。なぜだか無性に行きたくなって雨の中パパに車で連れていってもらった!いろんな猫ちゃんワンちゃんがいて、きみはサークルの中で兄弟たちと遊んでいたよね。何でこの子だけ毛がふわふわなんだろう!可愛い!生まれつき癖毛の女の子。ひときわ目立っていたきみに私は心を奪われたよ。名前はすぐに決まった。子ぐまみたいな見た目だったから、テディベアからとって「テディ」。帰りの車は慣れない移動でぐったり…抱っこしてた私に向かって吐いちゃったね。その時パパは何よりもまず車が無事か心配してたんだよ!今となっては笑い話だけどね。 私はきみとの散歩が大好き。「さんぽ」って言うとすぐにわかって、キラキラした顔で早く行こうよ!ってこっちを見る。きみも散歩が大好きだったね。きみとの散歩の何が好きって、ただ何気なく歩いているときに「テディ」って呼ぶと笑って振り返ってくれるでしょう?あの時の顔がたまらなく可愛くて大好きなんだよ。 だんだん年を取ってきて、歩くのもゆっくりになってきて…私からすればあの日の可愛い姿のまま見えていたけど、もうとっくにおばあちゃんになっていたんだね。あれは私の結婚式の前だったかな。突然倒れたって聞いてびっくりした。その日からてんかん発作を起こすようになって、だんだん体も弱ってきてしまったね。私の結婚式の日にはお留守番をさせるのが本当に心配で、心苦しかった。寂しかったよね。ごめんね。それから私は遠くに引っ越してしまって、なかなか会えなくなった。歩くのも大変になってきたとか、今日また発作があったとかいう話を聞いては心配で仕方なかったよ。やっと会えたお盆休み!久しぶりに会ったきみは話に聞いていたより元気そうに見えて安心した。歩くのは苦しそうだけど、それよりも会えて嬉しい!っていう気持ちが伝わってきた。いつもと全然違うとママが言った。あれ?久しぶりだから無理してくれたのかな…。そのあと1ヶ月もたたないうちにきみは旅立ってしまった。最初に会った瞬間はあんなにはっきり覚えているのに、最後に会った瞬間は思い出せないのは何でだろう?また会いたいよ。そのふわふわの毛を抱きしめたい。大好きだよ、テディ。 私ね、今年赤ちゃん産んだよ。可愛い女の子だよ。テディ、いつか生まれ変わってまた私と会おうね。

信号待ち

To:ゆめちゃん

From:mydreams

若いときは散歩に行っても信号待ちなんて全くしなかったのに、大人になったら、しっかり信号のことがわかって信号待ちをするようになったゆめちゃん。 そんなゆめちゃんも13歳。 今では、散歩もとてもゆっくりで若いときが懐かしく感じます。 画像は信号待ちができるようになった頃です。

アルバムをめくると・・・

To:ポレポレ

From:工藤吉徳

アルバムをめくると、写真の中の君は本当によく笑っています。  公園で友達と一緒にいる時も、かくれんぼで隠れた木の陰から顔をのぞかせた時も、初めて雪の上を歩いた時も、初めて海を泳いだ時も、朝出かける僕とバイバイする時も、お母さんとオモチャをひっぱりっこしてる時も、サンタクロースの帽子を被せられた時も、もちろん食いしん坊の君のことだから、大好きなご飯やおやつを前にしている時も。  そして、特発性筋炎という原因不明の病気で歩くことが難しくなり、カートで散歩に行く時も、いよいよ歩けなくなって車椅子に乗っている時も、布団の上で横になって猫にお腹をふみふみされている時も、病気が食道に及んで食べ物を胃に送る事が難しくなり、食後30分から1時間は立て抱っこをされている時も、やっぱり君は笑っているのです。  初めて会った時、ペットショップのゲージの中で生後7ヶ月の君は、身動きもしないで枯れ枝のような手足に虚ろな目で、こちらではないどこか遠くを見ていましたね。  あの時、君は何を見ていたのですか?ゲージの中の何ヶ月かの間、君は何を思ってあの四角い箱の中にいたのですか?全てを諦めたようなあの瞳を思い出すと今でも胸が痛むのです。君の絶望の深さと長さ。自分を含めた人の理不尽と醜さに・・・・・。  発病して8年、寝たきりになって7年、チアノーゼが出るのではないかと思う程の発作に片時も目を離せなくなって2年、酸素吸入器が必要になり、あまりの苦しそうな様子に「もう無理に頑張らなくてていいよ。」と語りかけるようになって3ヶ月。  14才と3ヶ月。 僕とお母さんのお休みの日に、はかるように二人の腕の中で息を引きとりましたね。  でも君は生まれてきて良かったと思っていてくれてるよね。僕らに会えて良かったと思っていてくれてるよね。写真の笑顔と最後の穏やかな顔が、その答えだと思っていいよね。  君の笑顔の写真を飾った骨壷を撫でながら、僕は毎日話しかけます。 「ポレ大好き!!」「ポレ家に来てくれて有難う!!」  君は、今でも僕らと一緒だから・・・・・。  撫でおりし 犬に撫でられており 彼岸花

現役スイマー?? やまと

To:やまと

From:やまとママ

やまとと過ごしているこの15年はキラキラし続けてます。ほんとうにありがとう。泳ぐことの大好きな君が、この年まで現役で泳げてることをほんとうに嬉しく思ってます。そんな泳ぐことが好きな君の影響で、勢いで海の近くに家を作ってしまいました。なので、まだまだしっかり活用してね。

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