STORY with PET ストーリーウィズペット

投稿一覧

投稿写真について

無償の愛

To:ヴィーナス

From:ガッチャンママ

おてんばで、大胆かと思えば周りを見て繊細に気持ちを察して、気配りのできる優しいヴィーナス。走ることが大好きで俊足で、9年ってちょっと短い犬生を早く走って終えてしまいました。急な病気で旅立ってしまい、お別れもあの日に何が起きたのかも、しばらく思い出せずに泣いてばかりだった。 でも、ヴィーナスがいなくなってから他の子3🐶も戸惑いながらも、1年半みんなで頑張っているよ。 チワワの保護犬親子が増えて、賑やかになったけど、ぽっかりと空いた穴には、埋まらない。誰も入れない。 その穴は、ヴィーナスしか入れないんだ。だからずっと空けておくね。 いつかまたヴィーナスに会えることができたら、ぎゅーっと抱き締めたい。 手がいたくなるくらい撫でたい。倒れるくらい散歩して一緒に走りたい。 今でも、ヴィーナスとやりたいことが山ほどあるよ。話したいこともたくさんあるんだ。 私と一緒に暮らしてくれてありがとう。愛を教えてくれてありがとう。 いつもニコニコしてくれてありがとう。ありがとうの言葉ではたりないくらい、たくさんありがとう。 ヴィーナスに頑張ったねって言ってもらえるように、頑張って生きるね。 もう少しまっていてね。ママより

最高の8888

To:きなこ師範

From:U

小さい頃から動物が好きだったものの、引越しが多く、賃貸住宅だったので、飼えるものと言えば、魚と小鳥。  そんな私が社会人になり、初めて一緒に暮らしたのが、きなこ師範でした。  やはり、犬を飼うのが夢!だった同居の祖父にと、シュナウザー限定で、長いこと方々探し回流も、ピンと来ず。 数ヶ月経ったころ、旅先でふと立ち寄ったショップで、お客さんにに愛想を振りまく、たくさんのかわいいワンコ達の中、ただ1匹だけ、人に背を向け丸まって寝ていたのが師範です。  探してたのはこの子!という不思議な感覚があり、一も二もなく連れて帰りました。  初めてのワンコは、わからないことだらけ。 しょっちゅうお腹を壊すし、スリッパ、靴など、かじれるものは目に付いたものはトコトンかじり倒す。祖母から何度叱られたかわかりません(私が)。  きなこは「初めての犬」という枠を大きくはみ出し、ひとりっ子の私にとっては、初めて心を許せた親友・姉妹・同志・分身。 唯一無二ってこういうこと言うんだなと。  楽しいこと、嬉しいことはもちろん、看病の大変さ、別れの辛さなどを通じて、14年に渡り、心にたくさんの栄養をくれました。そうそう、素敵な人脈も。  もともと愛想が悪く、他人にも他犬にも興味を示さぬツレないわんこでしたが、友人に言わせると私にそっくりなんだとか。 だから通じ合ったのかもしれません。  8月8日8時8分。 「ほら、末広がりだよ。頑張りなよ」 檄を飛ばしソウルメイトが月に帰って、今年で9年が経ちます。帰ってからもこちらを気にしてくれてるようで、娘の卒入学など大きなイベントはもちろん、大事な打ち合わせだとか、病院の検査とか、そういったときにも、必ず視界に入るところに8888 の表示が。  もはや、偶然と言うレベルではないので、家族の中では「あ、きなちゃんがまた」と、すっかり日常化。他にも説明しがたい、不思議なご縁を運んでくれたり… 意外と世話好きだったみたいです。  離れているけど、いつも応援ありがと!        

本当の天使になったね

To:ポップコーン

From:Mary

ポッちゃん、元気にしていますか…? きょうだいの中でも1番落ち着いていて、みんなより一歩後ろにいて周りをよく見ている賢い子だったね。色々な所を転々としてきたポッちゃん。最後の家となるうちに帰って来た時は、すでに13歳の高齢になっていました。歩くのもゆっくりになり、足腰も段々と弱くなっていたけれど、きょうだいとの再会は嬉しそうだった。段々と表情も明るくなって笑顔も取り戻したのを見て、うちでみることができて本当によかったと思った。元気なうちに少しお出かけもできたし、毎日よちよち散歩楽しかったね。最後の半年は自分で起き上がれなくなってしまって、サポートが必要でした。夜中も2度起きて、ぐるぐるよたよたと歩行。目は離せない。半介護生活は4ヶ月くらいだったけど、ごはんも手であげてパクパク食べてくれるのを見ていて本当に愛おしかった。ポッちゃん…きょうだい達とくっついてお昼寝している姿は本当に毎日私を癒やしてくれたよ。なんて幸せな光景なんだろうって思った。ふかふかのベッドの上で、体を伸ばしてスヤスヤ眠っている、とゆう当たり前の光景。数年その環境がなかった彼の事を思うと涙が止まらなかった。あなたといれた最後の2年間は本当に幸せで楽しかったよ。私の腕の中で最期をむかえた。ありがとうって何回も何回も言って見送った。妹のマシュマロちゃんもずっと隣にいたね。その後もあなたのいた毛布の上にいたり、写真の前で寝てたりしていたよ。ひとりになって寂しそうだったけど、今はお空でまたみんな一緒だね。本当に沢山の愛をありがとうポッちゃん。あなたの最高の笑顔をずっと胸に。。 I love you so so much Popcorn. . . --- Mary.

もっともっと広い空へ。Laniとの出会い。

To:Lani

From:Tomomi Imai

保護犬。 それはいろんな理由により、そう呼ばれている。 本来なら「イングリッシュコッカースパニエル」として血統書がつくはずの、ブリーダーが産ませた犬。 何も問題ない。至って健康だし頭も良いけれど天真爛漫で、好奇心旺盛で優しい。 彼の左目には白い曇りがあった。たったそれだけ。 視力にも問題ない。 なのに、障害者であり、売り物にならない犬として、里親さんが引き取った時は、まだ生まれて半年。 私は、価値観の違いから離婚し、地方や海外を飛び回る仕事をしている。正直、忙しい方だろう。 だからこそ、パートナーが欲しかった。犬は、人生の半分以上一緒にいる。そこで、いくつか問い合わせしてみたり。 でも、保護犬を扱う人達は、単身で働く女には世話なんかできない、無責任だと、結構きついことを言われたこともあった。 そんな中、「そんな自由に生きているあなただからこそ、この子にも自由をくれると思うんだ。面白いじゃないか。人生、何も起きないよりましだよ」と、面白がってくれた一人の里親さんがいた。その里親さんは、電話でも直接でもしっかりどっぷり話して、マッチングをしっかりやってくれる。もらってくれるからとホイホイあげるわけではない。お互いの人生にとって、寄り添い会えるか。それをみてくれる。まるでお見合いだった。 その方はもらってくれた方をエンジェルさんと呼んでくれて、もらった後もまるで実家のように、受け止めてくれる。私が出張するときは、ペットホテルよりも、そちらに預けに行く。広く静かで豊かな土地でシェルターを営んでいるから、5000円も払ってもカゴ1個に閉じ込められるようなところなんかより全然良い。 そうやって、一緒に保護犬を無くそうとかネガティブな方向ではなく、「wastedだってこんなに豊かになれる」ってことを証明していこうと、あっという間にteam Laniは出来上がった。 こうして、私はある夜から彼との共同生活を始めた。 名前は、ラニー。 ハワイ語で、「空・天国・天使」。 狭い価値観が広がるこの世のなかでも、たくさん羽を伸ばして羽ばたいてほしい。たとえかつて保護犬と呼ばれた犬だとしても、犬だって人生を選択できる世の中であってほしい。 私は島にも住んでいるから、そこにも一緒に行った。小学生とかけっこして遊ぶ彼は、とっても嬉しそうだった。 旅好きな私と彼の新しい旅は、まだ始まったばかり。

いつまでも幸せに。

To:ゆきちゃん

From:みさっきー1号

ゆきちゃんは我が家がはじめて迎えた保護猫です。県外の動物愛護団体からやってしました。少し臆病で、でも優しくて後からやってきた妹分の保護猫にひつこくされてもあまり怒りません。 ゆきちゃんは一歳ごろまで野良猫として生きていました。レストランのお客さんから食べ物をもらって生きていました。ゆきちゃんの子猫時代、野良猫生活はわたしたちには想像しか出来ませんがきっと大変だったのでしょう。だからこそこれからは幸せに元気に長生きしてほしいと思っています。

いとしのボーイズ

To:フィル、 ルーク

From:ミミ

わが家のボーイズ。愛しいボーイズ。 お兄ちゃんは知り合いのお家で生まれ、わが家へやってきました。 弟は保護団体さんにレスキューされ、わが家へやってきました。ふたりはとても仲良し。 お兄ちゃんは弟想い、弟は超がつくほどの甘えん坊。ふたりの性格はぜんぜん違うけれど、母であるわたしにはそれが愛おしくてたまりません。 わが家に来てくれて、ありがとう。 どんなにつらいことがあっても、君たちがいるだけで、その存在そのものが私を奮い立せる。もはや、君たちの存在しない世界は想像がつきません。 この小さな、地球より重いこのふたりの命が永遠に続けばよいのに、と、本気で思ったりします。 しかし、わかっています。誰にでも限りある命。だから、だからこそ、いまこの瞬間を大切に生きよう。いまこの瞬間おもいっきり抱きしめよう。誰にも負けない愛情をたっぷりたり注ぎ続けよう。 愛するふたりの息子たち。 わが家のいとしのボーイズ。

小雪さんの毎日

To:ワンコの小雪、ニャンコのアビィ 。ウサのイナバ。

From:マニマニ

チワパピの小雪さん、7歳までお姫様のように育てたられたけど、一転してウサギと同居。もう14歳の今は、ギャルニャンコと同居。お疲れさまです。 最初にもらわれた家で何があったかは知らないけど、とてもコミュニケーションが苦手で、なかなか犬友もできず、心配しました。散歩で猫を見つけても吠えてばかりだったけれど、我が家に猫を迎えた時には、吠えもせず、追っかけもせず、暖かくアビィを迎えてくれてありがとう。 おばちゃんワンコとギャルニャンコでは、あまり気は合わないみたいだけど、たまに見せてくれる二人寝に心が癒されるます。 これからも末永く、健康でいてください。

つぶが居るだけで♪

To:つぶ

From:hick

つぶと出会えて良かった。 つぶのおかげで沢山のお友達ができたんだよ。お散歩で出会ったお友達、SNSで出会った遠くに住むお友達。 一緒にお散歩して、おしゃべりして、ランチに行ったり、温泉旅行に行ったり、遠くに住むお友達が会いに来てくれたり素敵だね。 つぶのおかげでママの世界が広がったよ。 ありがとう!大好きだよ!ずーっとずーっと愛してるよ。

もう、10年

To:くぅ

From:沙莉

10年年前、約300gで我が家に来たヨーキーのくぅ。 最初のカットで黒いボディから白銀で別犬のように変身してびっくりしたのが懐かしいな。 小さくて、ビビリなのに頑固。でも、食べ物に弱いんだよね。 10歳の誕生日を過ぎて、下肢に麻痺のような症状を発症したくさんの検査と山ほどのお薬を飲まなくちゃいけなくなったけど、半年経って今は元気に散歩できるようになってくれました。 これからも、もっともっと側にいてね。 くぅの居ない我が家なんて想像できないからね!

愛してる。

To:川

From:まゆまゆ

あなたに出会った時、死んでると思いました。ガリガリで腕から出血、横たわったままピクリとも動かなかった…近寄って見ると微かにお腹が上下してるのが見えて「生きてる!」と慌てて病院へ連れて行きました。 「白血病だし、この怪我と衰弱では一週間持たない」と言われ、それでも治療をしてもらい毎日、泣きながら通院。 一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、通院が終わり…他に保護した猫のガガと仲良く過ごしてくれてるのを見て「本当に諦めなくて良かった」と心から思いました。 そんな元気だった川が保護してから、もうすぐ5年になる夏に食欲が無くなり、病院に連れて行ったら「発病してます」と告げられて「大丈夫やで」と泣きながら話したのが、ついこの前のことみたい。 それから一ヶ月、仲良くなったガガと私に見守られて静かに静かに虹の橋を渡ったね。 川、私のところに来てくれて本当にありがとう。あなたに命の大切さ、儚さ、美しさ、諦めないことの大事さ、動物が愛の塊だということを教えてもらいました。 本当にありがとう。愛してるよ。

我が家の3兄弟‼️

To:クレア・トップ・エルフ

From:かぁーちゃん

何やかんや、仲良し3兄弟💕 1人より2人‼️2人より3人‼️👍 3人より…これ以上はきついなっっ😂

ぼくは不自由なんかじゃないよ。

To:ルーチェ

From:梨沙

ぼくイタグレルーチェ。 2014年6月にボランティアさんにレスキューされて、7月29日、はじめての家族ができました! ぼくはそれまで、人間が怖かった。 ママやお姉ちゃんが来ても逃げ回りました。 でも、ゆっくり、仲良くなりました。 ぼくの両後ろ足は膝小僧が90度内向きのまま固まっていて伸びません。 狭く汚いバリケンに閉じ込められていたから、たくさん歩くこともなく、保護されてから最初は、歩くたびに膝を真っ赤にしていました。 ママがいっぱいケアしてくれました。 でも、今は上手に歩けるようになったし、お散歩大好き。 歩いてたら、かわいそうとか、足が不自由とか言われます。 違うよ、ぼくは不自由なんかじゃありません。 ぼくは自由になったんだ! ぼくのかっこいい歩く写真、みんなに見てほしいな。 出会いに感謝 ありがとう。 ルーチェ。

ゆるぅくいきましょ(^_-)

To:ジュリアン

From:YYパンダ

「何だか、犬じゃないみたい」 昔から、よく、そう言われてきたジュリアン。 元々、穏やかでしたが、年齢を重ねる毎に、更に穏やか風味が増してきました。 それに伴い( ^∀^) 私の、彼女への愛情も、増し増しです。 段々と、寝ている時間も長くなり、うまく歩けないようになってきましたが・・ 昔と変わらず、自然の中が大好きで、時間あれば、こうやって、砂浜でぽやーぁんと、お昼寝しております。 こんな時が、もう少し、続きますように。

ミクゥ、his Story

To:Micou

From:Ako Utena

紀元前、ぼくの祖先はトルコのアンカラにいました。何100代か後、ヨーロッパを北上してフランスに辿り着きます。そして紀元2000年、パリ西郊外イヴリンヌ県の片田舎でぼくは生まれました。ターキッシュ・アンゴラとのミックス、半長毛の黒ねこミクゥ=Micouです!時空を超えたぼくのストーリーは本当に長大で波乱万丈〜その一部をここにご紹介します。  2002年6月9日は生々流転のニャン生の中でも忘れ難い“生まれ変わりお誕生日”です。というのも〜このふた月前、生家のヒトからとつぜん監獄(SPA=動物保護協会という所だとか)に放り込まれ、ほぼ屍状態だったところに、やっと本当の家族が迎えに来てくれたから。この時の思い出をママンA女はいつだったか話してくれました〜ぼくが檻の格子からチョンチョン手を伸ばしてA女達を呼び止めたこと、初めてぼくを抱っこしたとき羽のように軽かったこと(屍だから当然だよね)、里親に課せられる4頁の筆記試験に辛くもパスしたこと〜。こうしてK家の一員となった初日はあまりの嬉しさにゴロゴロが止まらないし音が大きすぎてみんなをビビらせちゃった。『おっきな緑の眼がウルウルしてるー泣いてる?』って大騒ぎにもなっていました。  2006年10月16日はニャン生上、抜きん出る試練の日でした。真っ暗な空間、あり得ない轟音、振動、それが永遠に続く中にぼくはひとりぼっち。どんなに泣いても叫んでも誰も助けてくれない。どうして?どうして?どうしてまたぼくを放り出したの?って心はついに壊れてしまった… 移動用檻に入れられてCDG空港で家族と離されてから10数時間後、ぼくは何故かまだ生きていてNRT空港で家族に再会します。その時の風貌は完全に「精神を病んでいるヒトの顔」だったそうです。検疫所で獣医さんのチェックを受ける頃にはいつもの美猫ミクゥに戻っていて家族は胸を撫で下ろしたようですが。  日本に移住してから幸せいっぱいの12年間、家の中では悠々自適のお坊ちゃま生活を、外では「女の子ちゃん」と渾名を貰いながらも(うふっ)、仲間の揉め事の中心にしゃしゃり出て大怪我を負ったことも幾度か。  そして2018年7月9日、再び子猫のようにちっちゃく可愛らしくなったぼくは、たくさんのお花に囲まれてこの地の家族とお別れしました。今は守護天使Ange-Micouとなって、いろいろな世界や宇宙をKパパと一緒に自由自在に駆け巡っています!

いたずら小僧、それでもだいすき

To:ぴゅり

From:はる

お家に来たばかりの時は臆病で、控えめにぴゅりぴゅりと鳴いていたぴゅりちゃん。 あっという間に四年が経ち、今やあちこちでいたずらばかりして、目が離せなくなりました。もう!と思うこともたくさんあるけれど、朝、ぴゅりぴゅりと鳴いたり、おはようとしゃべったりする姿を見るたびにかわいくてかわいくて。 ぴゅりには秘密だったけど、仕事で疲れた日の帰りのバスで、一生懸命おしゃべりをしているぴゅりちゃんの動画(なんと4分長の大作!)を見るのが日課になっています。 楽しい時間をありがとう、これからもよろしくね。

大好きくっちゃん❤️

To:くーにゃん

From:もりりん

くっちゃんことくーにゃんは、我が家の長女猫にゃぽさんが虹の橋を渡ってちょうど半年後の2018年4月6日、お友達の経営するクリニックに出入りしていた外猫のお母さんから3姉妹の一番おチビさんとして産まれました。 にゃぽさんが虹の橋を渡ってちょうど半年後にこの世に生を受けた3姉妹、、、それだけでとても気になる存在でした。 しかし、当時はにゃぽさんの相方アトム君がにゃぽさんの亡き後、初めての1人っ子生活を満喫していたので、直ぐに「うちの子に!」とは言えませんでした。 それでも、やっぱり気になったので5月末までに家族が決まらなかったら連絡をもらう事にしました。 結果的には約束の5月末を迎える前に連絡をもらい、お父さんの2つ返事で1匹を我が家の家族として迎えることになりました。 お迎えに行ったのは忘れもしない2018年6月2日。 その時、既に1匹は嫁いだ後だったので、美人のママさんと小さな姉妹2匹が迎えてくれました。 姉妹は同じサビ柄の可愛い子ちゃん。 さて、どちらの子にするか? 迷ったので持参したアトムの匂いつきキャリーに先に入った方にしようと決めるものの、いざキャリーを出すと2匹同時に入ってしまい益々決められず。 最後は外に出てもらっていたママさんが帰ってきたのでタイムアップとなり、ずっと側にいた子の方を迎えることに決めました。 それが一番小さいくーにゃんだったのです。 ママさんと姉妹、お世話になったクリニックの皆さんとお別れをして280円の片道切符で我が家のやってきたくーにゃん。 家に着いてアトムのとの初対面はお互いに「うーしゃー」の攻防戦。 しかし、夜になると離れたソファーの上で1匹で寝たくーにゃん。 初めての猫、初めての人、初めての家、初めてのことばかりで不安だったのでしょう。 あの寝姿は今でも目に焼きついており、思い出す度に必ずくーにゃんを幸せにせねば!と思うのでした。 先日1歳になったくーにゃんは今も体は小さめだけど、アトムが大好きなお転婆で元気いっぱいのお嬢さんに成長しました♪ ちなみにくーにゃんの名前はクリニックでつけてもらった名前の「くるみ」の「く」に長女猫「にゃぽ」の「にゃ」、最後に呼びやすく可愛いらしく「ん」をつけました。 くーにゃん、これからも皆に愛されて、末永く元気に一緒に暮らそうね! うちの子になってくれて本当にありがとう。 心から愛してるよ。

天国から

To:テブクロとシロ

From:K

私が19歳の時に初めて飼った猫たち、2匹の兄弟猫、ハチワレのテブクロと、シロキジのシロは、近所で生まれた野良猫の子でした。 とても穏やかで賢くまるで私の親のような存在でした。 彼らが10歳の頃、シロの方に舌ガンが見つかり手の施しようがなく、あっという間に死んでしまいました。それ以降普段はクールなテブクロが枕元で寝てくれるようになりました。それまでは甘えん坊なシロの役目でした。 私を慰めてくれていたのだと思います。 その一年後、テブクロにも足の骨にガンが見つかりました。 非常に珍しい場所に出来て、やはり手の施しようがないと言われて、テブクロは相当足の痛みがあるだろうに、毎晩ベットの上で添い寝してくれました。 トイレも粗相することはなく、本当に最後まで私の為に頑張って生きてくれました。 テブクロも死んでしまって暫く経ったころ、昼寝をしていたら急に金縛りにあいました、その時は窓が開いていたのですが、そこからテブクロはフワッと入ってきた感じがしました。 私の首元をフワッと通り過ぎていつものように頬ずりをしてくれた感覚はあるのですが、目も開けられず手も動きません。 その時、頭の中にいつもそばにいるよ!という声がイメージとして流れ込んできました。 誰かに話してもなかなか信じてもらえないのですが。普段霊感など全くない私ですが、これだけはテブクロがテレパシーで送ってくれたメッセージだと確信しています。 私がいつまでもグズグズ悲しんでいるのを見かねて虹の橋を渡ってきてくたんだと思いました。その後は、また窓からスッと出て行ってしまいました。しっぽを掴みたいと思って掴めなかった事を覚えています。 実はシロの方も出てきてくれた事があります。やはり窓を開けて昼寝していた時です。 フワッと布団に入ってきた感覚、触ろうとするといつのまにか消えてしまいました。 こんな事があったのでテブクロからのメッセージを素直に受け取る事が出来たのかも知れません。2匹は、いつでもそばにいるよ。呼んだらいつでもすぐに来るよ。と、私に伝えたかったのだと。 彼らは私に沢山の愛を教えてくれました。本当にありがとう!今でも大好きだよ。

1 3 4 5 31

投稿写真・STORYについて

このページに表示されている投稿内容は、アニマル・ドネーションが主催する「STORY with PETキャンペーン」の寄付活動の一環として投稿されたものです。
もし万が一、不適切な写真もしくは文面等々ございましたら本サイト内の問い合わせフォームよりお問い合わせいただけますと幸いです。

公益社団法人アニマル・ドネーション キャンペーン事務局