ありがとう、またね!

To:アンナ

From:ウランママ

初夏の快晴の旭川、夕方に自転車で風を切っていたら、道路脇からか細い鳴き声が聞こえた気がした。自転車を停めて辺りを探すと、鳴き声の元は道路脇の排水溝からだった。友達と2人で重い蓋を必死に開けると光る眼が二つ。道路に突っ伏して必死に腕を伸ばして救いあげると、手のひらサイズの真っ黒な綿毛の塊。これが、アンナと20歳の私との初めての出会いだった。Tシャツの中に入れたその黒い綿毛の塊は、ふわふわに軽くて飛んでいってしまいそうだった。一人暮らしの私の部屋で、ヨチヨチ探検していたね。初めてのオシッコもティッシュ箱のトイレで上手にできたよね。パイプベッドに倒した長い板を上手に登ってきて、毎日一緒に寝たね。赤ちゃんすぎてピャーピャー鳴いてたね。様子を見にきた母は、ヨチヨチ歩きでピャ〜と出迎えたアンナに一目でイチコロ。アンナは実家に連れ帰られて家族になった。それからは、家族のアイドルとして、みんなを和ませ、家族を繋ぐ大切な存在になった。テレビの上に寝て画面に垂らした尻尾を揺らして、みんなを笑わせてたね。投げたオモチャを取ってきて、でも途中でポトリと落とすのね。真っ黒で毛艶も良く、長細い尻尾をピンと立ててお散歩するアンナを見て、「綺麗な猫だねぇ」「拾った猫なんですよ」という場面がよくあり、内心は、「愛情たっぷり注いでますから!」と嬉しかった。 そんなアンナも、私が転勤続きでなかなか会えなくなると、たまに帰省した私にシャーッと威嚇するようになった。とにかく母のことが大好きで、朝はお腹がすいたと母を起こし、家の中ではいつも母の後を追い、夜は早く寝ようと母を呼びに来るのが日課だった。寂しかったけれど、アンナが心を許せる存在がいるのならそれで良かった。 アンナが18歳になった頃、私が実家で暮らすようになると、アンナは私に再び心を許してくれるようになった。今思えば、自分を置いて離れて暮らす私に怒っていたのかな。この頃からアンナの腎臓が少しずつ悪くなり、21歳の初夏には次第に弱っていった。そしてある快晴の朝、息づかいが苦しそうになったアンナを腕に抱き、家族で見守っていた。母が、アンナ、もういいよ、ありがとうね、と声をかけると、すーっと眠りについた。 父、母、私、妹、それぞれ、21年の間にそれぞれにピンチがあったが、その度にアンナが心の傷を癒し、家族を繋いでくれた。アンナ、ありがとう。またね!