コロナ禍直前に逝ってしまった猫と、コロナ禍の中来た子猫。
To:椛、ふく、あんず
From:三日月

家で飼っているのは5匹の猫。 5歳の時には父が拾ってきた犬を買っていたことから高校2年生までは犬派で、猫を飼おうとも思いませんでした。 が、高校2年生の冬。家族の友達が 「ついてきた」 と子猫を拾って我が家で保護して以来猫好きに。 椛(もみじ)は私が23歳の時に、また別の家族の友達が 「ついてきたけど飼えない」 と拾った子で、貰った当初はノミやダニ、真菌にも感染して滅茶苦茶な子猫でした。 病院代もあれよあれよと飛んでいき、私にも顔に真菌が移ってしまい大変でしたが、治った後の毛並みは元より、なによりグリーンの瞳が美しい猫でした。 しかし、1歳を過ぎた頃から水を飲んでいるのに膀胱炎になり始め、血尿を出すようになりました。 「この子は腎臓が弱いね。」 と病院での診断。 薬を飲ませ、療養食を食べらせと色々手を尽くしましたが、腎臓病により、去年の12/30に、虹の橋を渡っていきました。まだ4歳でした。 泣き暮らす中、突如現れたコロナ禍。 それまでの当たり前な生活が一変し、慌ただしく過ごしてペットロスからようやく立ち直りそうになった5月。 ふと近隣の保健所のHPを見ると、椛の模様に似た子猫の里親募集。しかも、同じ男の子。 すぐに引き取ろうと思いましたが、コロナ禍で募集はストップし、再開したのは5/20と発表されすぐに電話し、ふくを引き取りました。この子は1月頃の生まれということで「福寿草」から名付けました。 うちに来たときからビビりちゃんだけど、すくすくといい子に育ってきたある日。 家の前に子猫が捨てられていました。コロナが小康状態になってきた7/16のことでした。 最初は里親募集するはずが、ふくが自分より小さな子猫を可愛がり始め、それを見ている内に情が移り、 「こんなに飼えんよ。」 と言っていた家族も、 「もー。しょうがないね。」 と。 そして我が家の猫として飼い始めたのがあんずです。 「椛が生きていたら、ふくのこともあんずのことも、可愛がっていただろうにね。」 コロナでまた騒がれ始めてから家にいることが多くなり、以前より猫たちと一緒にいることが多くなったこともありますが、ふと、そう思うことがあります。 椛は、自分より下の猫を可愛がる、優しい子でしたから。 子猫2匹を迎えて、家の中がより騒がしく笑うことも楽しいことも増えてきましたが、今でも少し、一抹の寂しさが残っています。