有り難うタンポポ…貴女が始りです

To:タンポポ

From:齋藤圭子

約8年前、低血糖で息も絶え絶えの状態で段ボール箱から出てきたタンポポを、しっかり支払いを請求され、心内の怒りを押さえ、この子のため気持ちよく迎え、連れて帰り、家族の一員となった『タンポポ』。 私はタンポポを引き取るその時に、初めて頭に血が昇るのを実感しました。 それがタンポポとであった日の記憶です。 それから、3歳になったばかりくらいのある日、いつもお世話になっているトリマーさんに 『この子だいぶしんどいかもしれないよ』と告げられ病院へ。 重い病を抱えてました。恐らく生まれつきだろうねと。 体調は一喜一憂、覚悟と隣り合わせの日々が始まりました。 タンポポの体調不良を期に、子供と図書館にこもり、『ペットショップやオークションの実態、殺処分数、なぜ殺処分されるのか、どうすれば減らすことができるのか』等調べたおし、この事を肥やしに、翌年から、地元のお祭りに動物愛護の啓発活動として参加するようになりました。 子供から大人までに『終生飼養』『迷子札は命の綱』『猫の室内飼育の徹底』『野良猫の問題やTNR』『不妊手術の必要』『大阪の野犬の存在と実情希望』『保護犬や保護猫を家族に迎える選択もあります』等をテーマに、ポスターを描いてもらい、見ていただく啓蒙のブースを、年に2度ですが出すようになり今に至ります。 タンポポの存在のお陰で、不幸な命の存在・救ってあげなければいけない命を知り、伝え知ってもらう事の大切さを教わりました。 当時タンポポの重い病に気づいてくださったトリマーさんは、ハサミを持つ技術だけだなく、家族より獣医さんより、いち早く異変に気づいてあげること、性格を把握すること等に、とても力を注がれている姿勢には感銘を受けました。 私はそんなトリマーさんのようになりたいと当時強く思い、その頃から約5年、資金や生活のタイミングをはかり計画し、この春に、その道へ踏み出そうとしていましたが、現実的に、46歳という年齢や、まだまだ育児家事仕事に多忙な中で、決断に至りませんでしたが、そんな中、背中を強く押されたのは、タンポポがこの3月に虹の橋を渡ったことです。 『お母さん、もう、私の一喜一憂の体調に合わせることなく、進んでね』と、声が聞こえました。 ここに投稿することで決意します。 最近まで娘がペットロスに陥ってました。 獣医さんに、お世話になったお礼のご挨拶にその娘も連れて伺った際、担当獣医さんから 『猫は子孫増やす為、繁殖時期を考え先を見て生きていますが、犬はね、過去や未来は考えず、その日が幸せで美味しくて楽しいが全てで生きているよ。タンポポちゃんが逝った日は、かなりしんどい日だったけれど、大好きな家族の臭いのする好きなタオルと膝の上で、家族全員の声を聞きながら逝ったことは、タンポポちゃんにとって、その日幸せでしかないので、後悔せず安心して大丈夫です』と。 少し娘の顔が緩みました。 タンポポが逝って数日間、ご近所さん、遠近の友人知人、獣医さんからお花や言葉を沢山もらい、ペットロス宣言していた私は、泣く間がないほど、毎日、感謝の気持ちの日々を送ることが今も続いています。 不幸な命を作らないために啓発活動や、トリマーさんを目指す決意や、タンポポの死を感謝の気持ちにしてもらったこと、全て、 タンポポと、タンポポを思ってくださった周りの方々のお陰です。 タンポポ有り難う~ 貴女が始り さぁ!また新たに始まるよ~ 大好きだよタンポポ。 有り難うタンポポ。 追伸 無事にトリマーになれたときには、なぜ私がトリマーを目指したかの訳をトリマーさんに伝えに行くこと。獣医さんに何かお手伝いをさせてほしいと伝えに行くことを次の目標にした次第です!夢を叶えるため頑張らないと😅です!