アイリッシュジャックラッセル

To:Benjamin

From:Reiko

 思えばあなたとの出会いは、ぱっとしないものだった。当時あなたが住んでいたスイスの乗馬牧場であなたはたくさんの犬の中でたった一匹孤立し、警戒心を剥き出しにゆき交う動物や人間を眺めていた。アイルランドからスイスに連れて来られたあなたは、次から次へと色んな人に引き取られては、相性が悪い、と また牧場に戻されていた。繊細なあなたの心は傷付き、擦り減り、人間を信用できなくなっていた。そんなあなたが可哀そうで、本音を言うと、同情心からあなたを家族に迎え入れた。  我が家には子供が二人いて、初めてのペットに家族みんなが大喜びした。だけど、子犬の頃に傷付いたあなたは事あるごとに牙を剥いた。己を護るように攻撃的な態度を取り、子供たちに噛み付くことも多々あった。引き取ったことを後悔した日も数知れず・・・もう、これ以上は無理だと諦めかけたことだってあった。だけどあなたは家族の一員。ペットであろうと、家族を見捨てられるわけがない。それに子供たちも、何度痛い目にあっても、あなたを嫌ったりしなかった。何度でも笑顔で『ベンジャミン』とあなたを呼んで手を差し伸べた。  あなたはとても賢い子で、それをちゃんと分かってくれた。賢くて、臆病で、それでいて仲間思いで、寂しがり屋で。一緒に暮らした十八年間、色んなことがあったね。笑ったり、泣いたり、一緒に旅行に行ったり、皆で日向ぼっこしたり。子供たちも成人し、私が心細かった時も、あなたはずっと傍にいてくれた。あなたがよぼよぼのおじいちゃんになっても、懸命に隣を歩い支えてくれていた。同情から踏み出した私たちの道は、いつしか、かけがえのない、深い絆に育っていた。  いずれ、歩くこともできなくなったあなたに、大好物のご飯を作って、何度も囁いた。『ありがとう』と。『もう、大丈夫だよ』と。あの日、あなたは安心したように、最後の吐息を零して眠りについた。掛ける言葉はただただ『ありがとう』。ここまで頑張ってくれてありがとう。家族になってくれてありがとう。たくさんの素敵な思い出を、たくさんの笑顔を、本当に、本当に、ありがとう。